元気なアジア・タイランド2



「まるで終戦後の日本だね」
 ツアー2日目、バンコクに着いた翌朝。最初の観光先である暁の寺院に向かう途中のバスの中、同じツアー客である夫婦の漏らした一言が耳に入った。まるで終戦後の日本。その時まで、私はひっきりなしに驚きの声を上げていた。
「あれーっ? ちょっと、今のバイク3人乗りでしかもヘルメット被ってないっ! うっそーっ、今度は4人乗りーっ!」
「えーっ何っ、道路の脇に集団で座り込んで、お皿にご飯盛って食べてるーっ! こんな排気ガスだらけの所でどうして!」
「危ないっ、この道路を強引に横断するなんて! どーして信号機が殆どないの? 危険すぎるじゃない」
「わーっ、バスの車体にたくさん人がぶらさがってるーっ。落ちたらどうするの? あれ許されるのー?」
 眼に映るもの全てに驚愕し、いちいち声を発する私に、現地ガイドのタイ人男性は笑いながら日本語で応えてくれた。
「うーん、3人乗りはともかくさすがに4人乗りはまずいですね。警察に見つかったら捕まるでしょう。ヘルメット着用は、去年から義務づけられました。誰も守りませんが」
「ああ、あれは道路工事の人達です。今から朝ご飯なんですね」
「信号機、あっても守る人殆どいません。事故ったら死ぬ覚悟で横断、運転するしかないです」
「あれは日本だったら許されないでしょうが、タイでは普通の事です。列車なら屋根まで客が乗る事もありますし、トラックの荷台に人が乗るのもここでは認められてますよ」
 現地ガイドさんの言葉に、私はただ唖然とするばかりであった。そこへ飛び込んできたあの台詞である。まるで終戦後の日本。
 その言葉は、旅行の間中私の頭にこびりついて離れようとしなかった。
 バスを降りれば、ムアッと熱を孕んだ空気が体を包む。風に乗り運ばれてくるのは、鼻をふさぎたくなるような干物の臭い。路地のバケツからはみ出した生ゴミと、飛びかう蚊の群れ。そして大量の蠅。
 店先に出された椅子に座り、身体を這い回る蠅を追い払いもせず食事をする労働者。寺院の周囲を裸足でうろつく子供たち。川沿いに建ち並ぶ、台風に合ったら吹き飛びそうな古い木造の小さな家々。その壁に掛けられた、何枚かの王族の肖像画。
 日本に戻って振り返れば、バンコクで印象的だったのはそれらの光景だった。まるで終戦後の日本、と称された人々の姿、その暮らし。
 あの光景、あれがかつての日本なのだろうか。モノクロの記録フィルムや、写真でしか見たことがない過去の日本。私が生まれる以前のそれは、あの国の現在と類似したものだったのだろうか。
 その日の午前中は、とにかく寺院ばかりを眺めて歩いた。
 暁の寺院から始まって、エメラルド寺院、涅槃寺、黄金の山寺院、大理石寺院……。
 熱心に、且つ誇らしげに説明する現地ガイドさんには申し訳ないが、日本人である私には何が何やらさっぱりわからなかった、というのが本音である。ええと、さっき見た寺院ですがあれはなんて名前で、いつの国王の時代に建てられたものでしたっけー? 記憶に残っているのは、最初に行った暁の寺院……の敷地内にたむろしていたニャンコ達と、でかいニシキヘビを袋から出して近寄ってきた男性のみなんですがー……。ごめんねごめんねっ。
 そんな3歩歩けば忘れる鶏並みの記憶にウンザリしかけた頃、バスはメインの観光地であるアユタヤ遺跡へと向かったのだった。
 そして夕暮れ時に到着した目的地、アユタヤ遺跡。沈む夕陽をバックにした廃墟は、感動的なまでに美しかった。世の中とは皮肉なものである。何が幸いするかわからない。破壊されているが故にこの遺跡は、他の寺院や王宮のように私の記憶に残らない、という事はなかったのだ。
 むろん、地続きの隣国の軍隊に攻め込まれ破壊された当時、この国の人々は嘆いたであろう。宗教心もろくにない異国人の私とて、原形を留めぬまでに壊され草の上に転がされた仏像を眼にした時は、心が痛んだ。首から上を失い転がった仏像などは、夕陽を浴びてうっすら紅く染まり、まるで人の死体のように見えてしまった程である。
 それでも、その残酷な歴史を示す遺跡は美しかったのだ。寂寥の美がそこにはあった。かつてここで暮らし、祈りを捧げていた人々の念が残っているのだろうか。きらびやかな寺院よりも王宮よりも、遥かに私の心はここに吸い寄せられた。滅んだ王朝の、破壊された寺院。これを己の眼で見つめ、歩き、触れた事は、今回の旅行の予期せぬ収穫であったと思う。実際に見なければ、この感覚は味わえなかっただろうから。


◇ ◇ ◇


 3日目、この日の予定は午前中に水上マーケットと木製品の工房、タイシルクを売る店等を回り、昼食後プーケットに向け国内線の飛行機に乗って出発する事になっていた。
 手持ちのタイ紙幣があと2日分としては心許無くなっていた為、そろそろ両替をしておこうと考えた私は、まさかそれによってニュースで聞くアジアの通貨危機を実感するはめになるとは思ってもいなかった。
 旅行会社から届いたガイドブックに記載されていた通貨レートは、1バーツ4・7円。およそ5円であった。そのつもりで出発前、東京のバンコック銀行に立ち寄り両替したのだがレートは何故か1バーツ当たり3・9円。およそ4円の計算になっていたのである。 予想より多くのタイ紙幣を手渡され、私は戸惑った。ガイドブックが編集された去年より価値が下落したんだな、と納得したのは何度か計算をやりなおした後の事である。しかしこの日、水上マーケットで帽子と自分の写真入りの絵皿を購入し、更に立ち寄ったお店で土産の品を買ってしまった私は、空港税を払うと財布の中に残金殆どなしという情けない状態で空港の両替所に駆け込んだ時、この国の通貨があのようなレートになっているとは夢にも思わなかったのだ。
 1バーツ2・92円。渡された明細書にはそう記されていた。1バーツ2・92円。およそ3円!
 私が日本を出発したのは8月25日。この日バーツのレートはおよそ4円だった。再度両替したのは8月27日。僅か2日後。なのに1バーツはおよそ3円となっていたのである。つまり、たった2日で1バーツの価値が1円下落してしまったのだ!
 たかが1円と侮るなかれ。4円が3円になっただけなら大して痛くもないだろうが、4万円が3万円の価値しかなくなったとしたら? いやいや、もっと大きな例を上げよう。貴方が持っていた4千万円の価値ある資産が、2日で3千万円に目減りしたとしたらどう思うだろうか? とんでもない話である。
 金庫の中の4億円が、紙幣の数は同じなのに2日後には3億円分の価値しかなくなっていたら、持ち主は平静ではいられまい。いくらバブルが崩壊したとはいえ、もし日本でこのような事態が起こったら、社会機能は間違いなく麻痺するはずである。
 だが、この通貨下落という現状を前にしても、タイの国民はパニックに陥りはしなかった。ただし、それなりに狡くはなった。頼みもしない小さな親切(余計なお世話、とも言う)をしてくれては、「チップチップ」と手を差し出す。こちらが財布から紙幣を取り出すまでそれは続く。無視しようものなら追い回される。それが嫌なら、主なチップ料金とされている20バーツ紙幣を渡すしかない。
 ちなみにこの20バーツ紙幣、日本円で考えれば最初の両替時で80円。次の両替時では60円であるが、スーパーなどではけっこう価値がある。何故なら、これはプーケットで夜に飲み物を購入する為外出した際に知ったのだが、タイの食品類は安い。飲み物も、レストランや観光客相手の店でなければ安い。
 どれくらい安いかと言うと、インスタントラーメンが1袋約15円。トロピカルフルーツのマンゴスチンが1個約11円。ミネラルウォーター500CC1瓶が約36円で、200CCの牛乳は1パック約24円なのだ。もちろんこれはスーパーでの値段であって、ホテルの冷蔵庫から同じ商品を出せば、3倍ないし4倍の金額を請求されるのだが。
 なお牛乳に関しては、コーヒー牛乳やいちご牛乳でなくても砂糖入りの物があるので、気をつけねばならない。あまりの甘さに吐きたくなければ、自衛してしかるべきである。幸い私の場合、店内で買い物中の二の腕に入れ墨をした観光客らしき男性が英語で注意してくれたので買わずに済んだのだが、レストラン等でジュースを注文する時は必ず「ノンシュガー」を強調するべきだろう。さもないと、砂糖でどろりとした代物が出される事になる。
 タイでは甘い飲み物が好まれるので、たとえジュースであっても更に砂糖を加えるのがサービスなのだ、というのが現地ガイドさんのお言葉。日本人の味覚からすれば耐え難い甘さ、こんなジュース飲んだら一発で糖尿病になる、と思える物であっても、彼等にしてみれば美味なのである。このギャップは埋めようがない。故に大声で主張しよう。「ノンシュガー、プリーズ!」と。外国では、沈黙は金ではない。肝に銘じておくべきである。


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