元気なアジア・タイランド


「春から業績不振が続きまして……。皆さんには誠に申し訳ないのですが……」
 その言葉を皮切りに、社長の口から業務の規模縮小、及び従業員半数の解雇が言い渡された。蝉の声賑やかな、暑い盛りの7月半ば。読み上げられたリストラ人員名簿には、我が名もしっかりと含まれていたのだった。

 ……この現実を前にしながら、長期の夏休みを与えられたと思う事にして海外旅行に行く算段を始めた不心得者は、たぶん私一人であったろう。
 だがしかし、言わせてもらえば10月まで勤めた場合、11日間の有給を会社から貰えるはずだったのだ。それを利用して冬になったらイギリスに格安ツアーで行こうと考え、せっせとやり繰りして残したお金を積み立てていたのだ。だのにその努力が、リストラで全ておしゃかになったのである。
 新しい就職先がいつ見つかるかは定かでないが、そこで有給を得るまでには暫くかかる事だろう。いや、ちゃんと有給をくれる会社なら良いが、このご時勢である。有給どころか、残業手当てさえ払ってくれない可能性もある。実際、以前勤めていた会社はそうだったのだ。
 社会人生活16年目にして、初めて出会った有給をまともにくれる会社、しかもそれを使って旅行に行く事を奨励する会社だったのにリストラという落とし穴。ああ、……平成不況のいけずっ! 庶民の楽しみを奪ってどうする! 私はまじめに納税して、国民年金も厚生年金も厚生年金基金も払っている良心的国民だぞーっ☆ だのにだのにーっ★
 ともあれ心は決まった。旅に出る。行きたいと思う場所はローマやロンドンなのだが、いかんせん夏場はお金がかかりすぎる。11月から1月頃を選べば1日もしくは2日間自由行動ありの、料金15万程度のツアーがあるとわかっているのに、わざわざ30万以上も払って自由行動なしの観光地&免税店引き回しツアーに行く事はなかろう。
 そういう楽しみは免税品を買い漁る金がある連中に任せておけば良い。貧乏人には、貧乏人なりの楽しみ方があるのだ。(イタリア旅行の時だって、食事も買い物もお土産代も2万円のトラベラーズチェックと財布の中の現金7千円だけで間に合ったし)
 おりしも季節は夏。思えば海とは長らく接していない。プールでさえ、御無沙汰している。20年振りに血迷って買った水着も、身に付ける機会がないままタンスの肥やしとなっていた。
 ……よし、ここは一発思い切って海だ。リゾートだ。一生一度の贅沢をしよう。南の島で泳ぐのだ!
 かくして旅の目的は決まった。行き先の検討に入る。ハワイは予算ちょい高めのツアーしかない。グアムも、実質いられるのは2日間で9万5千円……。私は1人での参加だから、ホテルのシングル料金が加算されると12万を越える。割高である。そこまで金を払うからには、きっちり観光もしたい。となると料金手頃で希望に添うのは……これだ、これっきゃない! アユタヤ・プーケット5日間、費用9万4千8百円。自由行動1日ありプール付きのリゾートホテル宿泊。これに決めた!
 そして私は受話器を取り上げ、喜々として旅行会社に申し込みの電話をかけたのである……。タイという国に関する知識の一つもなく、その歴史も知らず、待ち受けているカルチャーショックの事など思いもせずに。(……おばか?)

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