話を聞いたアディスは、その当時の住民同様ハーッと溜め息をつく。
「それで、お気の毒な大公様は、毒殺された息子の遺体と対面したの?」
「……ううん」
ローレンは首を振る。
「対面は出来なかったよ。亡くなった翌朝には、ルドレフ公子の遺体は城内から消えていたから」
「消えたぁ?」
「……ザドゥ隊長が持ち出したんだ、って皆言ってる。次期大公様と大臣等が現場に駆け付けた時、彼が叫んだ台詞の内容を覚えている者なら、誰しもそう考えて当然だと思う」
もうたくさんだ、と言ったのだ。隻眼のザドゥの異名を持つ褐色の肌の剣士は。亡くなった公子を腕に抱え、ここまで貴様等はこいつに犠牲を強いるのか、と。
「こいつがこれまでしてきた事を、少しは考えてみたらどうだ? 闘技場で妖獣から見物客を守ろうと戦ったのは誰だ? ユドルフの招いた災厄からイシェラを救おうと作戦を立て、王都奪還を実行したのは誰だった? 暗殺されかけた大公の容態が悪化せぬよう、側で看病してたのは? 解毒剤となる種を持ち出す為に敵国へ赴いたのは? いったい誰だった! え、答えてみろっ!」
不可能と思われる事を一つやり遂げる度に、貴様等は次を要求する。感謝の意すら見せずに。そのあげく、邪魔になったから死ねと言うのか、殺すのかっ!
そう、糾弾したのだ。ヤンデンベール城塞の責任者は。そして公子の遺体を誰の手にも触れさせようとしなかった。俺が側にいる、と宣言して。もうこれ以上こいつを傷つけさせたりしない、断じてさせないと。
「……で、翌朝には公子の遺体も隊長の姿も消えていた、となるとやっぱ答えは見えてるわね」
「ザドゥ隊長が持ち出したって、アディスも思う?」
問われて、アディスは顔を顰める。
「思わない方がおかしいわよ」
「うん、……だよね」
最後の焼き菓子を口にして、ローレンは頷く。
「でも、そうしたくなる気持ちはわかるな」
「え?」
耳にした呟きに、アディスはきょとんとして視線を隣の少年に向ける。ローレンは、微苦笑でそれに応えた。
「カディラ一族の人間と認められて、この城に住むようになったばかりの頃の話なんだけどね。馴染めないで毎日不安で心細かった時期、積極的に僕へ話しかけてきてくれたのはルドレフ公子だったよ。でもね、最初に聞かれたのはザドゥ隊長の事ばかりだったんだ」
「………」
「彼は元気? 毎日どんな生活をしてる? 今も変わらず面倒見が良くて優しい? こんな質問ばかりしたんだよ。そして、僕の思い出しながらの答えをにこにこして聞いていたんだ。まるで懐かしい友人か、家族の消息を聞いてるみたいに」
だからたぶん、とローレンは言う。
「たぶん、……うぅんきっと、ルドレフ公子にとってはザドゥ隊長って、一番大切な人間だったんだと思う。出来れば一緒にいたい相手だったんだよ。でもそれは、公言する訳にいかなかったんだ。だって彼は言ってたもの。ザドゥにも自分にも、カザレントの民としてやらねばならない事がある、果たさねばならない義務がある、それを放り出して逃げる事はできないって」
実際、ルドレフは以前、ローレンに洩らしたのだ。もちろん許されるなら自分は、いつだってザドゥに会いに行きたいと思っているよ、と。
「だけど次期大公が義務と責任に縛られて、好きな相手にも会えず我慢してる時に、自分だけザドゥと会ったりしたらそれは狡いじゃないかって。だから当分は次期殿に付き合って、責務をこなす方を優先するんだ。……そう言って笑ってた。いつかは再会できるって会えないのを我慢してた。……我慢してたのにっ!」
ローレンの声が震えた。アディスは感情が高ぶり泣きだした少年の手に己の手を重ね、強く握り締める。
「……ならきっと、公子にとっては良かったのね。死んでからだけど、遅すぎたかもしれないけど、ザドゥ隊長がこの城から連れ出したんなら」
もう義務を果たせの責務を果たせのと周囲から責められたりしない、自分の意志を殺して我慢する必要もない。そうでしょ? とアディスは言う。涙を拭いローレンは頷いた。
「でもアディス、ルドレフ公子はそれで解放されたのかもしれないけど、次期大公様の方はそうはいかなかったんだ……」
嫡子であるクオレルには、ライア・ラーグ・カディラには、義務も責任もなお付いて回った。ルドレフを失った後も。
プレドーラスへ引き渡した公妃とイシェラ国王がその後どうなったかを、意識が回復した大公に報告するのは彼女の役目だった。誰も肩代わりしようとはしなかった。
ルドレフ公子がアモーラに毒殺されるに至った事情の説明も、残された彼女のすべき事となった。臣下は皆、大公の怒りを恐れ、また嘆く様を見たくないと逃げたのである。
むろんクオレルにしたところで、病床の大公に怒鳴られるのも嘆かれるのも御免であった。彼女自身がもう、精神的限界にあったのである。殊にルドレフを暗殺された事はこたえていた。自分の異母兄に対する態度が誘因となったのではないか、という疑念と後悔が頭から離れなかった為に。
そんな状態で、クオレルはロドレフ大公と対面した。大公の容態を心配し侍医達が控えていた為、二人きりという訳ではなかったが、会話の内容は極めて遠慮のないものとなった。はっきり言えば、久々に顔を会わせた父と娘の対話とは思えぬ程、辛辣なやりとりだったのだ。
「……セーニャを殺させるなと頼んだはずだ」
「私が殺した訳ではありません。第一まだ、生死は不明です。もちろん、希望があるとは言いませんが」
「そうした詭弁を労すなっ!」
「他にどう言い様があるんです? 私は大公代理として、このカザレントを治める立場の人間として、当然取るべき方針を選択しあの二人を引き渡しました。公妃は二十年以上も貴方の妃として負うべき義務や責任を放棄してきたのですから、こういう時ぐらい役に立ってくれても良いでしょう」
「……あれは、お前を産んだ時点で公妃としての義務は果たした」
「それは大公に対してのみの話でしょう。私に関しては、彼女は何の義務も果たしておりません。ですから、一度はカザレントの為に働いてもらおうと思ったのです。正気でないからと、免罪符を与えるつもりはございません」
「それで見殺しにした事を正当化する気か?」
「大公、私は彼女やイシェラ国王の為に時間を割く必要性を感じませんでした。今も必要だったとは思いません」
「……セーニャはお前の母だった。ヘイゲル殿は祖父だ。だのに何の外交努力もしなかったと? それどころかドルヤを煽り、プレドーラスとの戦端を開かせるきっかけを作ったと言うのか? 人質となった者の身の安全を考慮する気はなかったのかっ!」
「敵国同士の消耗戦は、自国の安全にとって歓迎すべき事態です。出来れば何年か続いて欲しいものですね。ドルヤが乗ってくれて万万歳ですよ。単純馬鹿な王で助かりました。ゲルバとプレドーラス間の工作活動は失敗しましたから」
「……クオレル」
「ああ、私を産んだ事さえ覚えていない女を母と認識しろという申し出は、謹んで辞退させていただきます。祖父に至っては、我が国に災厄をもたらした疫病神としか言えませんね。私はむしろ、ドルヤの傭兵に感謝してますよ。この手であの二人を始末せずに済みましたから」
「クオレルっ!」
「あの二人をプレドーラスに送らねばならぬ状況を作り出した方に、説教されるいわれはございません! 貴方が公妃の繰り出した短剣にむざむざ刺されたりしなければ、私が決断に迫られる事もありませんでした! もっと早く目覚めて下されば、兄上が暗殺される事もなかったんですっ」
「暗殺だと……? ルドレフがかっ」
控えていた侍医は、そこで我慢ならず二人の間に割って入った。意識を取り戻して間がない人間をこうも興奮させては、危険だと判断したのである。
「待て、クオレル! 説明しろ、ルドレフが生きて還ってきたのか? この城に」
退出しかけたクオレルは、大公の言葉に足を止め、冷ややかに告げた。
「ええ、帰ってきてました。ですがもういません。公妃の女官の企てによって、殺されましたから」
「……ってやりとりがあったらしいんだけど……。僕が聞いた限りじゃ」
ローレンの呟きに、アディスは頭を抱える。
「勘弁してよぉ、全く。大公といい次期大公といい、父と娘とはいえもう少し言葉を選んで喋れないの?」
言われた少年は、力なく首を振る。無理だよ、二人ともすっごく似たもの親子らしいから、と。
「……そりゃ、冷戦状態にもなるわよねぇ」
空になった焼き菓子の包みに空気を吹き込み、大きな風船状にすると、妖獣ハンターの少女は掌でそれをお手玉しつつ、天を見上げて嘆息した。
「それでも次期大公様は、責務を放棄したりはしなかったんだよ。意識を取り戻したとはいえ、大公様の身体は半年以上も仮死状態にあってまともに機能していなかったから、正直なところすごく弱っていて、すぐに政務に戻るなんて事は不可能だった」
そうだわよね、とアディスは頷く。
「だから次期大公様は、それから一ヶ月も一人で頑張って、会議だの工事現場の視察だの裁判だの、書類の決裁だのといった仕事を黙々とこなしていたんだよ。だのに周りの臣下は文句を言うばかりで協力する姿勢を全然見せない。悪い噂も広まる一方で……。結局大公が復帰した時には、一時的に仕事を離れ自室で謹慎するよう命じるしかなくなっていたんだ」
「ええっ? それって変じゃない。だって……別に、あの人が罪を犯した訳じゃないんでしょ?」
「もちろんだよ。でも、大公様がそういう命令を下さなければ、周囲の不満が爆発しそうなところまで来ていたんだ。その頃には臣下の殆どが、ルドレフ公子の暗殺を公妃の女官に命じたのは次期大公様だと思い込んでいたから。裏で手を回して実行させ、余計な事を喋らないようさっさと逮捕し処刑したに違いないって」
常に冷静で、決断力がある人って印象が強かったせいだろうね。それが悪い方へ作用したんだ、とローレンはぼやく。何て事、とアディスは顔を顰め舌打ちした。
「馬鹿ぞろいだわね、カザレントの大臣達って。大公はあの人を跡継ぎだと紹介したんでしょ? だったら異母兄を排除する必要性なんてどこにもないじゃない。むしろ生かして仕事の補佐をしてもらう方がずっと楽。そんな事もわかんないのかしら」
「うん、わかってなかったんだよ。……そんな折だったんだ。ヤンデンベールにいたあのハンターのお兄さんが、契約期間終了を告げにこの城へと来たのは」
「来たの? ここに」
「ん、それで大公様との話自体はすぐ終わったみたいでね。僕の所に挨拶に来て、これで契約が切れたからもう城へ来る事はないだろうと言ってたんだけど……」
ローレンは、思い出しながら呟く。
「大公に許可を貰ったから、最後にクオレルさんに会ってくるって、笑って部屋を出ていって……」
そこで一旦言葉を途切れさせ、両手の指を組み少年は悲愴な表情でうつむいた。ルドレフ公子の時も、あんな場面に出くわすとは思わず部屋へ向かった。ハンターの時もそうだった。自分の持ち物ではない留め具が床に落ちているのを発見して、たぶんハンターの物だろうと考え、まだクオレルの元にいるかもしれないと慌てて届けに行ったのである。
その結果、あんな光景を見る羽目になるとは夢にも思わなかったのだ……。
血が、傷口を押さえた手を伝って、床に滴り落ちていた。眼にした瞬間ローレンは息を呑み、次いで悲鳴を洩らしそうになる。
「騒ぐなっ!」
それを制したのは、刺された当のハンターの厳しい声だった。胸の辺りを血に染めながら、背筋を伸ばして立ち指図する。いいから扉を閉めろ、こんな場面を誰かに見られたらまずい、と。
言われるまま従って、ローレンは背後の扉を閉め、赤毛の妖獣ハンターと銀髪の次期大公を交互に見る。
クオレルの手には、血で濡れた短剣が握られていた。明らかにハンターを刺した凶器と見て取れる物が握られている以上、答えは一つしかない。彼女がハンターを刺したのだ。
でも何で? とローレンは混乱しつつ思う。何で次期大公様が、ハンターのお兄さんを刺したりしたんだろう。仲が悪かったなんて話は聞いていない。そもそも仲が悪いなら、これが最後だからって面会を求めたりしないはずだ……。
「……クオレルさん」
荒い息で、ハンターは話しかける。自分を刺した相手へと。
「これでわかったろう? あんたは、あんたである事を捨てられない。どんなに重荷と感じても、己の義務を投げ出したりは出来ないんだ」
「………」
「本気で俺を殺したいと思ったんだろう? 間違いなく殺すつもりで刺しただろう? それでも咄嗟に心臓から狙いを外した。理性が感情を上回ったんだ。殺せなかったんじゃない。殺さなかったんだ」
クオレルは短剣を見つめたまま、呻いて首を振る。
「あんたは公妃とは、……産みの母とは違う。恋で狂ったりはしない。自分が背負ったものを、全て捨て去る事は出来ないんだ」
「いいえっ!」
髪を乱し、クオレルは必死の形相で否定の声を上げる。そんな事はありません、と。
「捨て去る事は出来ない……? 私を買い被りすぎてますよ、ハンター。少なくとも、あてつけで生命を捨てるぐらいの事は出来ます」
「!」
「確かに私には貴方を殺す事が出来ませんでした。ですから、代わりに自分を殺します。見ていて下さいね、ハンター。貴方が、私を殺すんです。貴方が私を拒絶したから、こうするんです!」
短剣の向きが変わる。クオレルは、自身の喉を目がけて突こうとしていた。そうとわかっていても、ローレンは動けない。動いたのは、ハンターだった。
「駄目だっ!」
「……っ?」
どうしてそうなったのか、間近で見ていたローレンにもよくわからなかった。喉を突こうとしていたクオレル、止めようと手首を掴んだハンター。短剣の刃先はクオレルの喉を逸れ、もう一方の喉に触れて……。
その喉を、切り裂いた。
「あ……、あっ……あっ、う……わあぁーっ!」
騒ぐな、という指示はもう守れなかった。ローレンは震える手で顔を覆い、その場にへたり込んだ。血の臭いで、気が変になりそうだった。
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