風の行方5《3》


 話を聞いたアディスは、その当時の住民同様ハーッと溜め息をつく。
「それで、お気の毒な大公様は、毒殺された息子の遺体と対面したの?」
「……ううん」
 ローレンは首を振る。
「対面は出来なかったよ。亡くなった翌朝には、ルドレフ公子の遺体は城内から消えていたから」
「消えたぁ?」
「……ザドゥ隊長が持ち出したんだ、って皆言ってる。次期大公様と大臣等が現場に駆け付けた時、彼が叫んだ台詞の内容を覚えている者なら、誰しもそう考えて当然だと思う」
 もうたくさんだ、と言ったのだ。隻眼のザドゥの異名を持つ褐色の肌の剣士は。亡くなった公子を腕に抱え、ここまで貴様等はこいつに犠牲を強いるのか、と。
「こいつがこれまでしてきた事を、少しは考えてみたらどうだ? 闘技場で妖獣から見物客を守ろうと戦ったのは誰だ? ユドルフの招いた災厄からイシェラを救おうと作戦を立て、王都奪還を実行したのは誰だった? 暗殺されかけた大公の容態が悪化せぬよう、側で看病してたのは? 解毒剤となる種を持ち出す為に敵国へ赴いたのは? いったい誰だった! え、答えてみろっ!」
 不可能と思われる事を一つやり遂げる度に、貴様等は次を要求する。感謝の意すら見せずに。そのあげく、邪魔になったから死ねと言うのか、殺すのかっ!
 そう、糾弾したのだ。ヤンデンベール城塞の責任者は。そして公子の遺体を誰の手にも触れさせようとしなかった。俺が側にいる、と宣言して。もうこれ以上こいつを傷つけさせたりしない、断じてさせないと。
「……で、翌朝には公子の遺体も隊長の姿も消えていた、となるとやっぱ答えは見えてるわね」
「ザドゥ隊長が持ち出したって、アディスも思う?」
 問われて、アディスは顔を顰める。
「思わない方がおかしいわよ」
「うん、……だよね」
 最後の焼き菓子を口にして、ローレンは頷く。
「でも、そうしたくなる気持ちはわかるな」
「え?」
 耳にした呟きに、アディスはきょとんとして視線を隣の少年に向ける。ローレンは、微苦笑でそれに応えた。
「カディラ一族の人間と認められて、この城に住むようになったばかりの頃の話なんだけどね。馴染めないで毎日不安で心細かった時期、積極的に僕へ話しかけてきてくれたのはルドレフ公子だったよ。でもね、最初に聞かれたのはザドゥ隊長の事ばかりだったんだ」
「………」
「彼は元気? 毎日どんな生活をしてる? 今も変わらず面倒見が良くて優しい? こんな質問ばかりしたんだよ。そして、僕の思い出しながらの答えをにこにこして聞いていたんだ。まるで懐かしい友人か、家族の消息を聞いてるみたいに」
 だからたぶん、とローレンは言う。
「たぶん、……うぅんきっと、ルドレフ公子にとってはザドゥ隊長って、一番大切な人間だったんだと思う。出来れば一緒にいたい相手だったんだよ。でもそれは、公言する訳にいかなかったんだ。だって彼は言ってたもの。ザドゥにも自分にも、カザレントの民としてやらねばならない事がある、果たさねばならない義務がある、それを放り出して逃げる事はできないって」
 実際、ルドレフは以前、ローレンに洩らしたのだ。もちろん許されるなら自分は、いつだってザドゥに会いに行きたいと思っているよ、と。
「だけど次期大公が義務と責任に縛られて、好きな相手にも会えず我慢してる時に、自分だけザドゥと会ったりしたらそれは狡いじゃないかって。だから当分は次期殿に付き合って、責務をこなす方を優先するんだ。……そう言って笑ってた。いつかは再会できるって会えないのを我慢してた。……我慢してたのにっ!」
 ローレンの声が震えた。アディスは感情が高ぶり泣きだした少年の手に己の手を重ね、強く握り締める。
「……ならきっと、公子にとっては良かったのね。死んでからだけど、遅すぎたかもしれないけど、ザドゥ隊長がこの城から連れ出したんなら」
 もう義務を果たせの責務を果たせのと周囲から責められたりしない、自分の意志を殺して我慢する必要もない。そうでしょ? とアディスは言う。涙を拭いローレンは頷いた。
「でもアディス、ルドレフ公子はそれで解放されたのかもしれないけど、次期大公様の方はそうはいかなかったんだ……」


 嫡子であるクオレルには、ライア・ラーグ・カディラには、義務も責任もなお付いて回った。ルドレフを失った後も。
 プレドーラスへ引き渡した公妃とイシェラ国王がその後どうなったかを、意識が回復した大公に報告するのは彼女の役目だった。誰も肩代わりしようとはしなかった。
 ルドレフ公子がアモーラに毒殺されるに至った事情の説明も、残された彼女のすべき事となった。臣下は皆、大公の怒りを恐れ、また嘆く様を見たくないと逃げたのである。
 むろんクオレルにしたところで、病床の大公に怒鳴られるのも嘆かれるのも御免であった。彼女自身がもう、精神的限界にあったのである。殊にルドレフを暗殺された事はこたえていた。自分の異母兄に対する態度が誘因となったのではないか、という疑念と後悔が頭から離れなかった為に。
 そんな状態で、クオレルはロドレフ大公と対面した。大公の容態を心配し侍医達が控えていた為、二人きりという訳ではなかったが、会話の内容は極めて遠慮のないものとなった。はっきり言えば、久々に顔を会わせた父と娘の対話とは思えぬ程、辛辣なやりとりだったのだ。
「……セーニャを殺させるなと頼んだはずだ」
「私が殺した訳ではありません。第一まだ、生死は不明です。もちろん、希望があるとは言いませんが」
「そうした詭弁を労すなっ!」
「他にどう言い様があるんです? 私は大公代理として、このカザレントを治める立場の人間として、当然取るべき方針を選択しあの二人を引き渡しました。公妃は二十年以上も貴方の妃として負うべき義務や責任を放棄してきたのですから、こういう時ぐらい役に立ってくれても良いでしょう」
「……あれは、お前を産んだ時点で公妃としての義務は果たした」
「それは大公に対してのみの話でしょう。私に関しては、彼女は何の義務も果たしておりません。ですから、一度はカザレントの為に働いてもらおうと思ったのです。正気でないからと、免罪符を与えるつもりはございません」
「それで見殺しにした事を正当化する気か?」
「大公、私は彼女やイシェラ国王の為に時間を割く必要性を感じませんでした。今も必要だったとは思いません」
「……セーニャはお前の母だった。ヘイゲル殿は祖父だ。だのに何の外交努力もしなかったと? それどころかドルヤを煽り、プレドーラスとの戦端を開かせるきっかけを作ったと言うのか? 人質となった者の身の安全を考慮する気はなかったのかっ!」
「敵国同士の消耗戦は、自国の安全にとって歓迎すべき事態です。出来れば何年か続いて欲しいものですね。ドルヤが乗ってくれて万万歳ですよ。単純馬鹿な王で助かりました。ゲルバとプレドーラス間の工作活動は失敗しましたから」
「……クオレル」
「ああ、私を産んだ事さえ覚えていない女を母と認識しろという申し出は、謹んで辞退させていただきます。祖父に至っては、我が国に災厄をもたらした疫病神としか言えませんね。私はむしろ、ドルヤの傭兵に感謝してますよ。この手であの二人を始末せずに済みましたから」
「クオレルっ!」
「あの二人をプレドーラスに送らねばならぬ状況を作り出した方に、説教されるいわれはございません! 貴方が公妃の繰り出した短剣にむざむざ刺されたりしなければ、私が決断に迫られる事もありませんでした! もっと早く目覚めて下されば、兄上が暗殺される事もなかったんですっ」
「暗殺だと……? ルドレフがかっ」
 控えていた侍医は、そこで我慢ならず二人の間に割って入った。意識を取り戻して間がない人間をこうも興奮させては、危険だと判断したのである。
「待て、クオレル! 説明しろ、ルドレフが生きて還ってきたのか? この城に」
 退出しかけたクオレルは、大公の言葉に足を止め、冷ややかに告げた。
「ええ、帰ってきてました。ですがもういません。公妃の女官の企てによって、殺されましたから」

「……ってやりとりがあったらしいんだけど……。僕が聞いた限りじゃ」
 ローレンの呟きに、アディスは頭を抱える。
「勘弁してよぉ、全く。大公といい次期大公といい、父と娘とはいえもう少し言葉を選んで喋れないの?」
 言われた少年は、力なく首を振る。無理だよ、二人ともすっごく似たもの親子らしいから、と。
「……そりゃ、冷戦状態にもなるわよねぇ」
 空になった焼き菓子の包みに空気を吹き込み、大きな風船状にすると、妖獣ハンターの少女は掌でそれをお手玉しつつ、天を見上げて嘆息した。
「それでも次期大公様は、責務を放棄したりはしなかったんだよ。意識を取り戻したとはいえ、大公様の身体は半年以上も仮死状態にあってまともに機能していなかったから、正直なところすごく弱っていて、すぐに政務に戻るなんて事は不可能だった」
 そうだわよね、とアディスは頷く。
「だから次期大公様は、それから一ヶ月も一人で頑張って、会議だの工事現場の視察だの裁判だの、書類の決裁だのといった仕事を黙々とこなしていたんだよ。だのに周りの臣下は文句を言うばかりで協力する姿勢を全然見せない。悪い噂も広まる一方で……。結局大公が復帰した時には、一時的に仕事を離れ自室で謹慎するよう命じるしかなくなっていたんだ」
「ええっ? それって変じゃない。だって……別に、あの人が罪を犯した訳じゃないんでしょ?」
「もちろんだよ。でも、大公様がそういう命令を下さなければ、周囲の不満が爆発しそうなところまで来ていたんだ。その頃には臣下の殆どが、ルドレフ公子の暗殺を公妃の女官に命じたのは次期大公様だと思い込んでいたから。裏で手を回して実行させ、余計な事を喋らないようさっさと逮捕し処刑したに違いないって」
 常に冷静で、決断力がある人って印象が強かったせいだろうね。それが悪い方へ作用したんだ、とローレンはぼやく。何て事、とアディスは顔を顰め舌打ちした。
「馬鹿ぞろいだわね、カザレントの大臣達って。大公はあの人を跡継ぎだと紹介したんでしょ? だったら異母兄を排除する必要性なんてどこにもないじゃない。むしろ生かして仕事の補佐をしてもらう方がずっと楽。そんな事もわかんないのかしら」
「うん、わかってなかったんだよ。……そんな折だったんだ。ヤンデンベールにいたあのハンターのお兄さんが、契約期間終了を告げにこの城へと来たのは」
「来たの? ここに」
「ん、それで大公様との話自体はすぐ終わったみたいでね。僕の所に挨拶に来て、これで契約が切れたからもう城へ来る事はないだろうと言ってたんだけど……」
 ローレンは、思い出しながら呟く。
「大公に許可を貰ったから、最後にクオレルさんに会ってくるって、笑って部屋を出ていって……」
 そこで一旦言葉を途切れさせ、両手の指を組み少年は悲愴な表情でうつむいた。ルドレフ公子の時も、あんな場面に出くわすとは思わず部屋へ向かった。ハンターの時もそうだった。自分の持ち物ではない留め具が床に落ちているのを発見して、たぶんハンターの物だろうと考え、まだクオレルの元にいるかもしれないと慌てて届けに行ったのである。
 その結果、あんな光景を見る羽目になるとは夢にも思わなかったのだ……。


 血が、傷口を押さえた手を伝って、床に滴り落ちていた。眼にした瞬間ローレンは息を呑み、次いで悲鳴を洩らしそうになる。
「騒ぐなっ!」
 それを制したのは、刺された当のハンターの厳しい声だった。胸の辺りを血に染めながら、背筋を伸ばして立ち指図する。いいから扉を閉めろ、こんな場面を誰かに見られたらまずい、と。
 言われるまま従って、ローレンは背後の扉を閉め、赤毛の妖獣ハンターと銀髪の次期大公を交互に見る。
 クオレルの手には、血で濡れた短剣が握られていた。明らかにハンターを刺した凶器と見て取れる物が握られている以上、答えは一つしかない。彼女がハンターを刺したのだ。
 でも何で? とローレンは混乱しつつ思う。何で次期大公様が、ハンターのお兄さんを刺したりしたんだろう。仲が悪かったなんて話は聞いていない。そもそも仲が悪いなら、これが最後だからって面会を求めたりしないはずだ……。
「……クオレルさん」
 荒い息で、ハンターは話しかける。自分を刺した相手へと。
「これでわかったろう? あんたは、あんたである事を捨てられない。どんなに重荷と感じても、己の義務を投げ出したりは出来ないんだ」
「………」
「本気で俺を殺したいと思ったんだろう? 間違いなく殺すつもりで刺しただろう? それでも咄嗟に心臓から狙いを外した。理性が感情を上回ったんだ。殺せなかったんじゃない。殺さなかったんだ」
 クオレルは短剣を見つめたまま、呻いて首を振る。
「あんたは公妃とは、……産みの母とは違う。恋で狂ったりはしない。自分が背負ったものを、全て捨て去る事は出来ないんだ」
「いいえっ!」
 髪を乱し、クオレルは必死の形相で否定の声を上げる。そんな事はありません、と。
「捨て去る事は出来ない……? 私を買い被りすぎてますよ、ハンター。少なくとも、あてつけで生命を捨てるぐらいの事は出来ます」
「!」
「確かに私には貴方を殺す事が出来ませんでした。ですから、代わりに自分を殺します。見ていて下さいね、ハンター。貴方が、私を殺すんです。貴方が私を拒絶したから、こうするんです!」
 短剣の向きが変わる。クオレルは、自身の喉を目がけて突こうとしていた。そうとわかっていても、ローレンは動けない。動いたのは、ハンターだった。
「駄目だっ!」
「……っ?」
 どうしてそうなったのか、間近で見ていたローレンにもよくわからなかった。喉を突こうとしていたクオレル、止めようと手首を掴んだハンター。短剣の刃先はクオレルの喉を逸れ、もう一方の喉に触れて……。
 その喉を、切り裂いた。
「あ……、あっ……あっ、う……わあぁーっ!」
 騒ぐな、という指示はもう守れなかった。ローレンは震える手で顔を覆い、その場にへたり込んだ。血の臭いで、気が変になりそうだった。

「……ハンター……?」
 ぼんやりと、クオレルは呼びかける。どうして彼は倒れているのだろう、とでも言いたげな表情で。
 それから、さっきよりも赤く染まり濡れた短剣を見つめ、合点がいったように頷き投げ捨てる。もう死んだところで意味はない、と言うように。
「ローレン」
 落ち着いた声が、少年の名を呼んだ。
「大公に報告しに行って下さい。私は謹慎中の身で、部屋を勝手に出る訳にはいきませんから」
「な……、何を報告しろと……?」
 歯の根も合わない状態で、全身を震わせローレンは問い返す。
「貴方の娘がハンターを殺しました、と言えばすぐに動きますよ。大公は」

 アディスは眼を剥き、暫し絶句する。
「……ちょっと待って。それで自ら進んで牢に入ったって言うの? あの人ってば」
「うん、そうだよ。裁判にかけるなり追放するなりお好きにどうぞ、って。もうどうなったっていいって……」
 アディスは拳を振り上げ叫んだ。いったい何考えてんのよーっ! っと。そう言いたくなる気持ちはわかるよ、とローレンは額を押さえる。
「でね、一つ質問があるんだけど。アディス、君って妖獣ハンターだよね」
「そうよ。まだ腕は未熟だから、胸を張っては言えないけどね」
 ローレンは身を乗り出し、内緒話のようにアディスの耳元へ口を寄せ、小声で囁いた。
「じゃあさ、……妖獣ハンターって喉を切り裂かれても生きていられる?」
「はあっ?」
 アディスは眼をパチクリさせ、質問の意味を考えた。つまりそれって……まさか? まさかでしょ?
「ローレン、その質問ってつまり……、あのハンターのお兄さん、死ななかった訳?」
「うぅん、死んでたよ。少なくとも大公が駆け付けた時には、間違いなく死んでいた。だけど、その一週間後には僕、生きている彼と会ったんだ。まだ首に包帯を巻いてはいたけど……、元気そうに見えた。死んだ事なんか一度もなかったみたいに」
 だから余計にわからない、とローレンは言う。アディスは髪をクシャクシャに掻き乱しぼやいた。聞かれても答え様のない問いをあたしに振らないでよ、と。
 そんな二人の、それなりに深刻な悩みなど知らぬげに、蝶が庭園内を舞う。のどかな午後を満喫するように。


 ローレンとアディスの話題に上り、カザレント国内の噂の集中人物でもあるクオレルことライア・ラーグ・カディラは、この時既に城内の牢屋の収容員名簿から名前を削除されていた。本人が罪を犯したと自覚し、自ら望んで牢に入ったという経緯はあるが、当の被害者がその罪状を認めなかったのである。
 カザレントとの契約が切れた妖獣ハンターの青年は、事件から一週間後に城内で開かれた簡易裁判の場へ包帯姿で出席し、はっきりと証言したのだ。あれは事故のようなものだった、と。
「しかし、その前の段階で胸を刺されているだろう。それでは事故とは言えぬと思うが」
 大公の指摘を受けても、被害者であるハンターの主張は変わらなかった。
「俺は刺されても仕方がないような事を言った。相手の精神状態を考えもせずに。あくまでもクオレルさんを罪人扱いするなら一つ訊くが、大公、あんたは自分を刺した公妃を暗殺未遂の実行犯として逮捕し、罪を問う気はあったのか?」
 ロドレフは虚を衝かれた表情となり、僅かな沈黙の後で答えた。セーニャは心の病だ、クオレルとは違うと。
「違わない。動機はどっちも同じなんだ。失いたくない、それくらいなら殺す。……部外者の俺が言うのも何だが、セーニャ妃ならば許される行為が、クオレルさんでは許されないってのは、ちょっと不公平に過ぎやしないか?」
 ハンターの言葉に反論を申し立てる者はいなかった。刺された当人が生きていて、罪を問わないと言うのだから別に騒ぎ立てずとも良いではないか、といった意見が大半を占めた為、結果としてクオレルはお咎めなしとなり釈放が決定されたのである。
 しかし、事はそれで収まらなかった。城内の牢から出された彼女は処分に納得がいかないと申し出て、今度はカディラの都にある庶民の罪人を収容する施設へと入ってしまったのである!
 設備が格段に劣る牢へ次の大公と定められたはずの人間が入った事で、牢内は元より都中が蜂の巣をつついた騒ぎとなった。だが、当のクオレルは平然と言う。
「誰がどう庇おうと、私は殺人を犯した罪人です。たまたま刺された人間が普通より生命力が強く、どうにか生き返ったからといって罪を帳消しにする訳にはいかないでしょう。法を守る立場にある者がそんな事をしては、民に示しがつきません」
 何より、自分が許せはしない、と主張しあくまでも囚人であろうとするクオレルに、大公も臣下一同も(むろん牢の管理責任者も)困り果てた。
 結局、自分では説得不可能だと判断したロドレフは、クオレルの養母であるトバス男爵夫人ナンフェラ、かつて公妃付きの女官を務めていた女性を急遽カディラの都に呼び寄せ事情を説明し、懐柔をお願いするに至ったのだが、この苦肉の策も今のところ効を奏していない。
 クオレルことライアは、十二の年に別れた育ての母に再会するなりしがみついて泣くという、大公に対するそれとは全く異なる態度を見せたが、肝心な件は一言も漏らそうとしなかった。妖獣ハンターを殺そうとした理由、刺した原因を告白する事は、頑なに拒んだのである。
「ナンフェラでも駄目となると、やはりこれはそなたに直接訊くしか手がないな。妖獣ハンター」
 初夏を思わせる陽射しがカディラの都に降り注いだ五月も終わりのある日、住人不在となっている公女の私室に赤毛の妖獣ハンターを連れ込んだ大公は、椅子に座るなり用件を切り出した。
 契約が終了し自由の身になったパピネスは、何故か今もカザレントに拘束されていた。正確には、大公命令で城内に軟禁されていた。
 表向きの理由は、我が国に貢献したハンターを負傷させたまま余所へ行かせる訳にはいかないから、となっているが、実のところ首に巻かれた包帯の下に傷はなかった。胸の方も同様である。どちらの傷も既に、跡形もなく消えていた。
 それでもしつこく怪我が治っていないかのように、毎日見える位置の首に包帯を巻かれるのは、拘束する口実がなくなるのを周囲が恐れている為である。
「理由がわからぬ事には、説得の仕様もない。……あれがそなたを刺すに至ったのは、いったい何故だ? 今日こそは答えてもらおうか」
 一国の君主から真剣な眼差しを向けられたハンターは、居心地の悪そうな風情で向かい合わせの椅子に座り、ボソボソと呟いた。
「セーニャ妃と動機は同じだ、って言った時点で理由は語り尽くしたも同然だぜ。大公」
「あいにく、あれで全てがわかる程、我々は頭の回転が良くないのでな。是非とも詳しく語ってほしいのだが」
「……あのさ、正直な話クオレルさんが何も言わずにいるのに、俺が勝手に喋っていいとは思えないんだよ」
 ロドレフは眉を寄せ、一理あると頷いた。
「こちらもそう考えたから、今日まで無理強いはせずに来た。しかし、もう騒ぎを抑えるのも限界だろう。臣下や民を納得させる為にも、あの日何があったのか私は正確に知りたい。現状は憶測の噂ばかりが先行して、それが真実であるかのように蔓延し一人歩きしている。国家として由々しき事態なのだ。これは見過ごせん」
「………」
 赤毛のハンターは、伸びた髪を無造作に掻き上げ床に視線を向ける。
「まあ、大公の立場じゃ事情説明を要求するのも当然だろうな。でもさ、前から言ってる通り、俺は刺されても仕方がない事を言ったから刺されたんだぜ? それだけの事だ。騒ぐ必要はないって」
「だから、何を言ったのかその内容を詳しく話してほしいのだ。クオレルは父親の私が言うのも何だが、これまで感情を爆発させるような事はなかった人間だ。常に理性の声に耳を傾け、冷静に物事に対処してきた。然るに今度の件では、理性の歯止めが効かず暴挙に出たというのが納得できぬ。……理解できないのだ」

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