風の行方5《2》


 イシェラ崩壊後、その全土の支配権を求めてイシェラ国王が逃げ込んでいた公国カザレントに宣戦布告したのは、イシェラを分断した六ヶ国のうち四ヶ国、ゲルバ、ドルヤ、ノイドア、プレドーラスといった、カザレントと地理的に隣接、もしくは距離を近くする国々だった。
 このうち、ドルヤとプレドーラスは長年争いもなく良好な関係を保っていたが、カザレントが引き渡した元イシェラ国王ヘイゲルを巡るごたごたをきっかけとして、昨年の夏から交戦状態となっている。
 これに対する周辺国の動きはどうかというと、ドルヤと同盟関係にある隣国ノイドアはプレドーラスとの距離的な問題もあり、表向きは静観を保っている。
 一方ゲルバは、王妃がプレドーラス王家の出身という事もあって隣国の苦況を無視できず、されどこれまで同盟を結んでいたドルヤを非難し敵に回す訳にもいかず、またそれができるだけの国力も回復していない為に、二つの国の間で苦慮、懊悩している。
 今のゲルバの立場では、隣国プレドーラスへ大っぴらに味方し支援する事は許されず、かといってドルヤに強い態度で臨み敵対するような真似もできない。ゲルバ国王とその妻は、板挟みにされ誠に苦しい外交を強いられていた。
 ただ、そんなゲルバと攻め込まれた国プレドーラスにとっては幸いな事に、ドルヤ王家と何度も婚姻関係を結んでいる友好国ノイドアは、両国と隣接する国ではない。間にアストーナやカザレント、そしてドルヤそのものを挟んでいる。いくらドルヤが参戦を促しても、従弟にあたるノイドア国王が重い腰を上げようとしないのはその為であった。
 ドルヤが単独でプレドーラスと陰の援助国ゲルバを相手に戦をするのは、正直無理がある。経済的にも戦力的にも多大な負担がかかるからだ。おかげで、プレドーラスにお抱え妖術師ブラン・キオを向かわせたゲルバは、ドルヤの国王から不快感を示す抗議の書簡は受けても、それを理由に攻め込まれる事はなく冬を越し、無事今年の春を迎えていた。
 そんな公国暦四九九年五月、カザレントの首都カディラにある、大公の居城では……。

「実際、ゲルバが送った妖術師の戦場での起用が、以後の戦局を大きく変えたんだよ」
 ロドレフ大公が公子時代好んで歩いたという庭園を、連れの少女と共に散策しながら、ゲルバで生まれた少年ローレンは興奮気味に語る。

「正直な話、ドルヤにしてみればブラン・キオって妖術師は、殺しても飽き足らない存在だろうね」
 だって彼が前線に出るまでは、ドルヤが圧倒的優勢で攻めていたんだよ。各地の砦や城塞を次々に落とし、十月には王都に迫ろうとしていたんだから、と。
「それが年末頃には国境近くまで軍勢を押し戻され、そのまま引くも進むもできない膠着状態に陥ったんだから、ドルヤ国王はたぶん毎日ゲルバに向かって歯軋りしてるんじゃないかな?」
 少年の言葉に、背後を歩いていた大柄な少女アディスはさぁねと肩を竦め、出掛けに女官から持たされた包みを開けて、取り出した焼き菓子を口に放りバリバリと噛み砕く。
「あのねローレン、他国の事なんかこの際どーでもいいの。まあ、ゲルバは故国だからもちろん気にはなるけどね。問題は今の大公家の異常な状況よ! もう都はおろか国中至る所で大変な騒ぎだわ。どうなってんのか、あたしにわかるよう説明してくれる?」
 亡命の際に護衛を務め、数ヶ月を共に過ごした妖獣ハンターの少女に詰め寄られ、元ファウラン公爵家子息にして、滅んだ大国イシェラの第五王女ソーシアナの息子、現在はカザレントの第三公位継承者の身分である少年、ローレン・ロラン・カディラは溜め息をつく。簡単に説明できるような事柄じゃないんだけど、と。
「ええと、アディスは確か、次期大公様に情報収集の為雇われていたんだよね」
「そうよ」
「それで、他国を旅して得た情報を伝える為にカザレントに戻ってきたら、こんな騒ぎになっていて城まで来ても次期大公様と面会できなくて、仕方がないから僕に会いに来た訳で……」
「えーえ、でもついでに会いに来たって事はないわよ。ところで聞いた噂じゃその次期大公様が、将来大公の座に就けるかどうかも怪しい状態だって話になってるじゃないの。ねえ、女の人だったってホント?」
「うん……、そうらしいね。本名はライア・ラーグ・カディラだって大公様から聞かされたけど。あ、でもねアディス、ゲルバと違ってカザレントでは、女性が君主の座に就く事は、国法で正式に認められているんだよ。過去にも女性の大公はいたんだって。だから……」
「わかってるわよ。問題はあの人が女性だった事じゃなくて、それを周囲にわざと隠していた点でしょ」
「……そうだけど、何人かは前から知っていたらしいよ。次期大公様が男装している女性だって事は」
 複雑な表情で、ローレンは言う。アディスは最悪、と顔を顰めた。
「つまり、一握りの臣下だけが信用されて、大公の跡継ぎの秘密を知っていたの? それじゃ知らなかった臣下達が黙っている訳ないわよ。そうまで明白に差別されたんじゃ、許せるもんですか」
「んーっ、でも次期大公様の方にも色々事情があったんだと思うよ。性別を偽って暮らすなんて大変だろうし」
「問題はそーゆー事じゃないって言ってるでしょっ!」
 怒鳴られ、ローレンは肩を落とす。確かに問題はそういう事ではない。彼とてわかってはいるのだ。多くの臣下がこの事実を知った時クオレルを非難したのは、彼女が公子ではなく公女だったから、なんて単純な理由ではない。もっと複雑な心理作用によるものだ。
「で?」
 鷲掴みにした焼き菓子を一度にまとめて頬張り、胃袋に収めた後にアディスは訊く。
「……でって?」
「だから、何が起きてどういう事になってるのか、ちゃんと説明してくれなくちゃ。あたしは去年の九月初めにカザレントを離れたのよ。その後にこの国で起きた事は、殆ど知らないの」
 ローレンはああと頷き、手を差し出す。
「なに?」
「僕にも焼き菓子。まさかとは思うけどそれ、一人で全部食べちゃう気でいた?」
 アディスは眼を丸くして呟く。ええっ、ローレンもこのお菓子食べたかったの? と。
「……アディス」
 その焼き菓子は、本来なら僕のおやつなんだけど。
 ローレンは地面を見おろし、心の内でぼやいた。口に出しては言わなかったが。しかしアディスもそう鈍くはない。渡された包みの中身が誰の為の物だったか気づいて、照れ隠しの笑みを浮かべる。
「ごめーん。あ、あそこにベンチあるから、座って話そ。やだなーっ、そんなに怒んないでよ。ねっねっ?」
 自分よりほっそりした体格の少年を強引に引っ張って、妖獣ハンターの少女は蔓薔薇に覆われた四阿へと向かい、石造りのベンチに腰をおろす。隣に焼き菓子の包みを置き、更にその隣へローレンを座らせると、逃がさぬよう肩に手を掛けさぁ話して、と要求した。 ローレンは観念し、昨年九月から城内で起こった様々な出来事、その中でも自分が見聞きしある程度知っている事柄を、思い出せる限り記憶の棚から引き出して語りだす。クオレルを現在の苦況に追い込んだいくつかの要因や、彼女が次期大公の座に就けないかもしれない、という噂が流れるに至った本当の理由を。


 そもそもの発端は、九月の半ば物乞いと見紛う姿で大公の居城へ帰り着いた一人の老女にある。セーニャ妃付きの女官で主人と共にプレドーラスへ赴いたアモーラ、彼女の言動に。
 ドルヤの傭兵が起こした騒動によってイシェラ国王ヘイゲルが亡くなり、娘でカザレント公妃のセーニャも連れ去られ行方不明となった事を受けて、プレドーラス国王トリアスは事件から三日後、一人牢に留まっていた彼女を呼び出し、もうここにいる必要はない、カザレントに戻るがいい、と虜囚の身分から解放した。
 もちろん、解放したと言ってもアモーラは恨み重なるイシェラ出身の人間である。故にトリアスは、帰国に必要な路銀や携帯食料は一切渡してやらなかった。着のみ着のまま不慣れな土地で、道順を印す地図もなく彼女は放り出されたのである。
 公妃付きの女官として、大国イシェラの人間として常に高い矜持を持ち生きてきたアモーラは、牢内でも兵士の暴言や乱暴な扱いに何度か屈辱を味わったが、カザレントへ戻る道中はそれを遥かに上回る恥辱に耐えなければならなかった。
 来る時は馬車に乗せられて来た為特に苦労はしなかったが、帰りは自分の足で歩かねばならない。食料も、自力で調達せねばならないのである。
 同じ牢にいた従者エフトスは、仕える主人ヘイゲルの死を知らされた翌日、これ以上この世に留まる意味はない、生きてる甲斐もないとの血文字を壁に残し、衣服を裂いた布で首を括り死んでいた。残された彼女に、頼れる同胞はいなかった。
 金品を持っていない以上、食事は獣と遭遇する覚悟で森に入り食べられる実を探すか、もしくは店先や畑から盗むか、乞食の真似事をして恵んでもらうよりない。
 アモーラは死んだ方がましな気分でプレドーラスの住民に情けを請い、僅かばかりの残り物を分けてもらって食べ、納屋の藁の上や軒先で眠った。夜中に畑の野菜を盗み、土の付いたまま齧った事もあった。雨の日の野宿も、何度となく経験した。
 最短距離だからと国境を越え入ったゲルバでは、更に大変だった。この国は先頃まで冬の呪いをかけられていた為に、どの村や町の住民も自分達の口を養うのが精一杯で、他国の人間に与える食料など持ってはいなかったのである。アモーラは雪解け水で増水した川沿いを歩き、水を飲んでは空腹をごまかし、石にこびりついた苔を剥ぎ取って口にした。
 飢えと疲労で痩せこけた老女は、カザレントを目指し歩き続けた。垢と土埃で汚れ、幽鬼のような姿になりながらそれでもアモーラは歩みを止めなかった。
 彼女には、一つの目的があったのだ。ヘイゲル国王とセーニャ妃をプレドーラスに引き渡し、結果的に殺したも同然のクオレルを皆の前で糾弾するという目的。その達成だけを心の支えに、徒歩での帰国をやり遂げたのである。
(許すものか。許せるものか! 孫でありながら己の祖父を、実の母を他国に人質として差し出し、便りの一通もくれずに見捨てた女など!!)
 プレドーラスで何が行なわれたか、イシェラの国王とカザレント公妃がどのような目にあったかは、大公代理の任についているクオレルの耳には間違いなく届いていたはずである。だのに、何もしてくれなかったのだ。
 その気になれば外交戦術を駆使して、彼等の待遇改善等をプレドーラスに要求できたはずである。その程度の政治能力と頭脳は、あの大公が跡継ぎと決めた相手だ。当然持っているに違いない。なのに何の行動も起こさなかった。起こす気がなかったのだ!
 アモーラには、それが許せなかった。元々ロドレフ大公の侍従であった頃から、クオレルの不遜な態度や言動は好きになれなかった。だが、セーニャ妃の産んだ娘であると知ってからは好意を持とうと、アモーラなりに努力してきたのである。たとえヘイゲル国王相手に、露骨な嫌悪の情を見せようと。しかし、結局は好きになれぬまま、この決定的とも言える破局を迎えたのだった。
 もはや彼女にとって、クオレルは敵だった。セーニャ妃が生死不明のまま行方知れずとなった直接の原因、ドルヤの傭兵達よりも、彼女にこうした苦難を味あわせたプレドーラスの国王よりも、憎い敵だった。
 そんな憎しみだけを糧にカディラの都、大公の居城に帰り着いたアモーラは、嵐の後の枯れ木もかくやといった姿のまま大公代理のクオレルや臣下一同の前に立ち、プレドーラスでどのような目にあわされたかを声高に訴えた。そして彼等を引き渡しその後何の援助もしなかったクオレルをさんざん罵倒すると、最後にこう付け加えたのである。
「それにしても、私の大切な姫様が産んだのは確か女の子でしたのにね。いつまでそうして男の格好をなさる気でいらっしゃるのやら。女性としてはもう婚期を逃した年齢でしょうに、ずいぶんのんびりしていますこと!」
 この台詞から、第一の波紋は広がった。最初は城内に、次はカディラの都に。やがて、国内全土へと。

「……で、その事実を前から知っていた臣下はともかく、知らされていなかった臣下はやっぱり怒っちゃってね。結果、会議の席は毎日荒れ放題。決めなければならない問題が山積みなのに、そちらへ話が全く移行しない有り様で、次期大公様もルドレフ公子もほとほと困り果てていたんだよ。こんな事で揉めてる場合じゃないのにって。でも大臣等が怒る理由もわかるから、強く出られなかったみたいなんだ」
 半分程に減った焼き菓子をつまみ、少しずつ齧りながらローレンは語る。同じ焼き菓子を豪快に歯で砕き、アディスは話の先を促した。


 第二の波紋は、冬の初めに広がった。ルドレフ公子が単身イシェラの王都(今はプレドーラスの領土)に乗り込んで、王宮の庭園内にある毒薬作りの塔から持ち帰ってきた植物の種。毒に冒された大公を死なせぬ為の仮死状態から引き上げ、目覚めさせてくれる唯一の解毒剤。
 毒の作用が体内から消えれば、仮死状態は解除されるはずだった。少なくとも、術をかけた相手はそう説明した。故に種を服用後、すぐ大公が意識を取り戻してくれれば、何の問題もなかったのだ。
 だが、年月を経て変質した毒には解毒用の種が効かなかったのか、それとも種を解毒の薬として服用するやり方に問題があったのか。……とにかく、仮死状態は解除されず、大公ロドレフの意識は戻らなかった。それが、クオレルの辛うじて保っていた精神の均衡を崩し、異母兄ルドレフとの関係に亀裂を走らせたのである。
 クオレルにしてみれば、アモーラが帰ってからの騒動以来、あと少し、あと少しの辛抱で大公代理の責務から一時避難を許される。この重圧から暫し逃れられる、と考えていたのだ。それを心の支えに、連日の苛酷な政務と周囲の余計な雑音や悪意の噂に耐えていたのである。
 大公が元通り君主として皆の前にあれば、煩わしい事柄からは解放されるのだ。自分が公女である事を隠していた件も、いずれ忘れ去られるに違いない。そもそも息子のように偽って跡継ぎだと紹介したのは大公なのだから、その辺については上手く言い抜けてくれるだろう。そう、クオレルは期待していたのである。
 だのに、せっかく秋の終わりまで待って手に入れた解毒剤となる種は、大公の身体から毒を消してくれなかったのだ。
 落胆したクオレルは、まず種を服用させるやり方を間違えたのではないかと考える。生のまま磨り潰し、湯に溶いて飲ませたが、もしかしたら薬草の葉や茎がそうであるように乾燥させてから煎じて飲むのが正しかったかも知れない、と。
 ヘイゲルは、種が毒消しになるとは言ったが、どのようにして服用するかまでは説明しなかった。もしかしたら、彼も詳しくは知らなかったのかもしれない。部下にそこまで説明させなかったとか、まともに報告を聞いていなかった、という事はありえるだろう。
 しかし、それでは困るのだ。大公には、父には何としても目覚めてもらわねばならないのである。絶対に!
 焦燥感にかられたクオレルは、徐々にルドレフを責める言葉を口にするようになっていった。せっかくイシェラの毒薬作りの塔まで行きながら、どうして種をたった一つしか取ってこなかったのですか? と。
 普段のクオレルなら、そんな事は言わなかったろう。単身で戦場と化している敵地に乗り込み、危険を冒して毒消しとなる種を持ち帰ってきてくれた相手に感謝こそすれ、文句をつけたりはしなかったろう。
 けれど、この時クオレルの神経はささくれてしまっていたのだ。思うようにならない内政と外交、アモーラの非難に端を発した噂と、己に向けられる周囲の人々の非好意的な眼差し。連日聞かされる臣下の苦情、遅々として進まない、プレドーラス内でのセーニャ妃の捜索。
 ドルヤの手には渡っていないのだから、生死はともかくプレドーラス内に彼女はいるもの、とクオレルは推測したが、戦の最中な敵国に侵入し、たった一人の女を捜す、という作業はどんな訓練を受けた兵士、間諜でも困難である。それがわかっている以上、クオレルとしても彼等をせかす訳にはいかなかった。
 だのにそうした苦労も知らず、アモーラとその一派は、イシェラから来たセーニャ妃付きの面々は、文句ばかりを伝えに来るのだ。母君に対して誠意が足りない、もっと人出を差し向けろ、真剣に捜せと。
 勝手な事を、と怒鳴りたいのを必死でこらえ、大公が回復する日をクオレルは心待ちにしていた。だのにロドレフは目覚めない。臣下達も都の住民も落胆し途方に暮れたが、一番この事実がこたえたのはクオレルだった。
 ルドレフは、イシェラから戻り種を飲ませた後も献身的に大公の看病をし、彼が目覚めてくれない事に心を痛め、責任を感じていた。そんな相手を責めるのは間違っている、そうわかっていても、クオレルは文句を言わずにいられなかった。
 不安、焦燥、疑惑、そうしたもので精神がいっぱいになってしまっていたのである。相手が身内だという甘えも、全くなかったとは言えない。
 ともあれ、毎日責められ続けたあげく、実は違う種を持ち帰ってきたのではないか?
とまで言われてはルドレフも立つ瀬がない。実際には、解毒用の種を間違えて持ち帰る事などありえなかった。何故なら、その花が咲くのは秋の中頃。他の花に遅れて蕾をふくらませ、周囲が盛りを過ぎる時期にようやく咲き始めるのである。
 ルドレフはちゃんと確認していた。その毒花がヘイゲルの証言通り秋の中頃に咲いたところを。その上で受粉させ、種が出来た頃を見計らって採取しに行ったのだ。
 されど彼は、クオレルの心情を思いやり、逆らわずにそうかもしれないと同意した。そして再びイシェラの王宮へ赴き、他の種があるかどうか塔に入って調べようと申し出たのである。
 だが残念ながら、その頃には元イシェラの王都もドルヤとプレドーラスの戦禍に巻き込まれてしまっていた。住人が一人もいないそこは戦が始まった当初からドルヤの軍勢に占拠されていたが、ここにきてプレドーラスの軍勢が巻き返しに出たのである。寒さと悪天候で自然に休戦状態となる冬場に、劣勢にあったプレドーラスは敢えて戦いを挑んだのだった。
 戦場となったイシェラの王都は炎に包まれ、塔も投石による破壊と火事の被害を受けて内部が空洞化していた。当然、種らしき物など見つからなかったのである。
 この結果を帰ってきたルドレフが報告すると、クオレルは臣下の面前で彼を責めた。大公が治るという見込みはもはやない、という絶望感がクオレルにそうした言動を取らせたのだが、君主の代理という立場を思えばやはり慎むべきであった。
 ルドレフ・カディラは確かに普通の人間と異なり、一瞬で違う場所へと移動する力を持っている。けれど、だからといって危険が避けてくれる訳ではない。戦時下の敵地に一人で乗り込み、大公を治す為の毒消しの種を探そうとした彼の行動は、本来誉められて然るべき行為であった。
 だのにねぎらいの言葉すらかけず、一方的に責めるとはあんまりではないか。そう考え憤慨する者が臣下の中にいたとしても、おかしくはない。殊に以前、ルドレフによって取りなされ更迭を免れた臣下、奪われた地位を取り戻した臣下は、結託してクオレルに対し造反の意志を示すようになったのである。
 ルドレフが帰国前に憂慮していた、もっとも望まない事態が起きようとしていた。それも彼を中心として、城内のみならずカディラの都でも。
「次の大公の座をルドレフ公子の手に!」
「我らが大公を暗殺しようとしたイシェラ女の産んだ子ではなく、大公に忠実で我々の味方だった宰相ディアルの御子に、カザレントの君主の地位を!」
 臣下や都の住民のそうした声は、日増しに強くなっていったのである。
 この状況に仰天したのは、第一の波紋を引き起こした張本人アモーラであった。彼女はクオレルを嫌い憎んでいたが、だからといって次期大公の座から引きずりおろすつもりなど、毛頭なかったのである。まして代わりにその地位に就くのが大事な姫様の恋敵、宰相ディアルの息子では耐え難かった。
 冗談ではありませんと彼女は眉を顰め、次期大公交代の動きを妨害すべく行動に出る。由緒あるイシェラ王家に生まれた王女達の中でも、一番美貌に恵まれたセーニャ妃の血を引く人間こそ、カザレントの君主にならなければいけないとアモーラは信じていた。
 ユドルフについては、大公ロドレフの子でなかったし性格的にも資質の面でも問題外な存在だが、クオレルに関して言えば君主の座に就くべきだと信じていた。そうでなければ政略の為十二でこの国へ嫁いできた姫様の人生が無駄になる、と。
 アモーラにとっては、自分が長年仕えたセーニャ妃こそが全てであり、世界を定める法だった。彼女は、それを遵守したのである。邪魔者は排除を、永久に排除を、と。肝心の競争相手がいなければ、誰も馬鹿な事は言い出すまい、そうアモーラは考えたのである。
 この時、公位継承権を持っていてもローレンはアモーラに狙われはしなかった。嫌われ者のユドルフの息子、しかも敵国だったゲルバからの亡命者では、いくら現在カディラの姓を名乗ろうと、嫡子ライアを差し置いて次の大公に推される可能性はない、と見做したのである。
 何より、ユドルフの息子であるローレンは、一応セーニャ妃の孫にあたる少年だ。これだけでも、排除対象から除外する理由としては充分である。
 アモーラが消すべき存在として狙いをつけたのは、大公代理の異母兄として周囲が認め慕い必要としている存在。クオレルことライア公女と、今や次期大公の座を巡って争う立場にある公子ルドレフ、彼一人だった。

「で、噂を信じるならルドレフ公子はその女にみすみす毒殺されたって訳? ばっかじゃないの? 無用心にも程があるわよ」
「……アディス」
 非難の意を含んだ声に、妖獣ハンターの少女はだってそうじゃない、と言い訳する。ローレンは首を振り、溜め息をついた。
「ルドレフ公子は決して無用心じゃなかったよ。ただ、自分の代わりに誰かが死ぬのは嫌だって、毒味役に毒味をさせなかった。暗殺される可能性がないなんて思ってはいなかったよ。彼は単に、他人が巻き添えになるのが嫌だっただけなんだ」
「でも、結果的にはそれで死ぬ羽目になったんでしょ?」
「うん……」
 ローレンも、その点は否定しなかった。
「……前はさ、皆で一緒に食事してたんだ。僕と次期大公様とルドレフ公子と……。でも大公様が目覚めてくれないと騒ぎになってから、お二人の仲がうまくいかなくなって……公子は遠慮して食事を自室で食べるようになったし、次期大公様も忙しいとかで、食事の席へ姿を見せる事がなくなったんだ」
「なぁに? じゃ、もしかしてローレン、ずっと一人で食事してるの? あのだだっ広い食堂で」
 ローレンは寂しげに笑う。もう慣れたよ、と。アディスは釈然としない表情で腕を組んだ。
「何にせよ、ルドレフ公子は自室で一人食事をしていて、料理に盛られた毒にやられて死んだのね。犯人はすぐそのアモーラって女官だとわかったの?」
 問われて、ローレンは複雑な表情となる。厳密には、ルドレフ公子はお一人じゃなかったよ、と彼は言った。
「ヤンデンベールからの定期報告って、いつもは部隊長級の兵士が書状を携えて来るんだけど、今回は城塞守護職のエルセイン子爵が気を回したらしく、総責任者のザドゥ隊長を寄こしたんだ。……意味わかる?」
 アディスは眼をぱちくりさせる。
「何? あんたを心配して様子を見に来たってこと?」
「僕を心配して、じゃないよ。ザドゥ隊長、以前は渡り剣士やってたんだって。それで、ルドレフ公子が大公に呼ばれてカディラの都に出て来る際、道中の護衛を頼まれ同行したらしいよ。ちょうどアディスが僕を守って、ゲルバからついてきてくれたみたいにね」
 感謝の笑みを向けられ、妖獣ハンターの少女はボサボサの髪を掻き回し赤面する。
「あたしは、大して役に立たなかったわよ」
 ううん、そんな事ないよ、とローレンは否定する。いつでも側に誰かがいてくれる、声をかけ励ましてくれる。一人じゃないって事は、それだけでとても心強かったと。
「あー……、話を戻しましょ。つまりエルセイン子爵はそうした関係を知ってて、大公代理と公子の不仲の噂を聞きつけ心配になり、ザドゥ隊長を差し向けた訳ね」
「そう、昔親しくした相手に会えば、公子の気も少しは晴れるだろうって考えたんだ」
「で、……結果が?」
 その後の悲劇を思い、気乗りしない様子で少女は促す。ローレンも暗い表情になり、唇を噛んだ。
「僕はあの日、女官の一人に教えられたんだ。ヤンデンベールから懐かしい方がお見えです、先程ルドレフ公子のお部屋に向かいましたよ、って。それで、お邪魔かもと思ったけど公子の部屋に行ったんだ。ヤンデンベールではお世話になったし、一言挨拶したくて」
 ルドレフ公子はその時遅い昼食をとっていた、と彼は言う。
「でもザドゥ隊長が面会を求めてるって聞いたら、食事中だけど構わないから通すようにって伝えたそうだよ。給仕の為その場に控えていた侍女は、公子がとても嬉しそうだったって言ってた。久し振りに本当の笑顔を見せたって……」
 けれど、二人が会う事は叶わなかったのだ。
 ザドゥに遅れる事僅か数分で、公子の部屋の扉を開けたローレンが眼にしたのは、床に落ちた料理の残骸と食器。恐怖と混乱から悲鳴を引っ切りなしに上げ続ける侍女の姿。胸を押さえたまま倒れ、ピクリとも動かないルドレフ公子の青ざめた顔。その傍らに膝を付き、片手で脈を取りながら拳を震わせ、狂暴な怒りに今にも爆発しそうな気配を漂わせている隻眼の剣士。
 目撃談から犯人と見做され逮捕されたアモーラとその協力者は、少しも悪びれる事がなかった。ルドレフの元へ運ばれる料理に毒を混ぜた事実を隠そうともせず、平然と胸を張る。何故なら彼女達は、己が正しい行いをしたと信じて疑わなかったのだ。故に誇りを持って裁判の席に立ち、罵声を浴びながらも堂々と公子暗殺の過程を告白し、笑みを浮かべて絞首刑の判決を受けたのである。
 然るに、アモーラとその協力者がセーニャ妃の娘の権利を守る為と行なった犯罪は、むしろクオレルを窮地に追い込んだ。これによって彼女は、癇癪をぶつけても苦笑で受け止めてくれる身内を、泣き言を口にしても大丈夫な相談相手を失ったのである。
 おまけに、実は公子暗殺を指示した張本人ではないかという不名誉な噂まで国内に流布され、決定的に孤立してしまったのだ。
 しかも間が悪い事に、ルドレフ公子が毒殺された翌日の夕方になって、大公ロドレフの仮死状態は解け、意識を取り戻したのである。ルドレフ・カディラが持ち帰った種には、確かに解毒作用があったのだ。毒が変質していたせいで、効き目が現われるまでにかなりの時間を要したが。
 本来喜ばしいはずのこの情報に、城内の者達は誰も笑顔を見せなかった。先を思えば、笑える訳はない。死の淵から戻ったばかりの人間に、貴方の息子は亡くなりましたと報告せねばならぬのだから。
 おまけに妻は行方不明となり生死も知れず、舅は異国で死亡である。毒で意識を失い仮死状態に陥ってる間にあった事柄全てを知った時の大公の怒りを思うと、城内の人々、カディラの住民は皆溜め息であった。

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