風の行方4《2》


『なつかせてみろ。絶対に面白いと保証してやる』
 そう、自分に語りかけたのは誰だったろうか。
『誰かに好かれた経験などないだろう? 一度味わってみるといい。破壊より暴力より楽しい事が、世の中にはあるとわかるから』
 破壊より楽しい事? そんなものはなかった。少なくとも、自分が最初に目覚めた世界には。
 それになつかせてみろと言うが、そもそも何を以て相手になつかれたと判断するのか? 好かれるとはどういう事か? それすら自分は知らないのだ。誰も教えてはくれなかったのだから。
 そうである以上、なつかせてみろと言った相手は、側にいなければ駄目だった。保証すると言うなら、どういう事なのかちゃんと教えてくれなければいけない。こうだと導いてくれなければ困る。言うだけ言って消えられては、途方に暮れるしかない。
 自分はまだ、何も知らないに等しいのだ。認めたくないが、事実そうなのだ。

「……!」
 背中に人の体温を感じて、今は妖魔の身体を持つ異界の魔物・ガーラムは目を覚ます。 またあいつか、と彼は溜め息をついた。いちいち確認せずともわかる。どうせまた、あの赤毛の妖獣ハンターがこちらの寝台に潜り込んできたのだろう。
 六回目ともなれば、さすがに異界の魔物も対応に慣れている。寝呆けての事なのか、はたまた故意にやってる行為かは謎だったが、野宿の時はともかく、宿に泊まれば毎回こういう事態に陥るのだ。眠りにつく時は、一応別々なのだが。
 ちゃんと寝台が二つある部屋を借りたにも関わらず、おまけに気温が夏本来のものになっているにも関わらず、どうしても狭くて暑苦しい思いをしたいのか、ハンターは潜り込んでくる。そして明け方、焦りまくって起き上がると、眠っているかどうか様子を窺った後に、こそこそと己の寝台へ戻るのだ。
(ばれていないとでも思っているのか、馬鹿が)
 自分はそこまで鈍くない、とガーラムはふてくされる。が、いちいち文句を言うのも面倒なので無視を決め込み放っておいた。他人の声帯を使って声を出し、言葉を口にするのは、まだ彼には難しかった。無理に意識しなければ出来ないのだ。
(しかし……、果たしてこういうのをなつかれると言うのか?)
 ……何となく違うような気がする……。そう考えた時、異界の魔物は思い出す。なつかせてみろと彼を唆したのは、妖魔界にいた頃のルーディックだった。ただしその対象は、人の子のハンターではなくこの体の本来の持ち主、妖魔レアールだったのだが。
 ルーディックの事を思うと、異界の魔物は我知らず唇を噛みたくなる。いてほしいと強く願うのに、今はもう決して語りかけてくれない相手。呼びかけても応じてくれない、自我と記憶の殆どを失った眠れる魂。
 その相手に代わって突然自己主張を始めたのは、それまでいないかのように存在が稀薄だったレアールである。
 結果的にガーラムが乗っ取った形になった肉体の本来の持ち主は、ルーディックの精神が表面に出ている間は全く彼等に干渉する事がなかった。人間界へ移動してからというもの、その傾向は特に顕著で、それ故異界の魔物はずっと彼をいないものとして扱ってきたのだが、どうやらそれは誤りだったらしい。
 レアールの思念が具体的に表面化したのは、自分を長年封じ込めてきた忌ま忌ましい相手、蜘蛛使いを誘いに乗じて殺してしまおうかと考えた時だった。当の蜘蛛使いが殺してほしがっているのだから、別に構わないだろうと思ったのだが、行動に出たのがまずかったのか意思の覚醒と反発を招いた。
 そんな事に自分の体を使うな、能力を使うな、やらせないっ! といきなりレアールの意識が浮上し、動きを抑制したのである。
 妖魔レアールは、ルーディックの意識がない時だけ思い出したように表層に現われる存在だった。
 しかも現われた時は常に恐慌状態で現状認識をろくにせず、そのくせ軽く痛めつけると後は人形のようにおとなしくなる、よくわからない相手だった。
 加えて言うなら、彼の意識がルーディックに取って代わったのは、妖魔界にいた頃だけである。人間界に来てからは入れ替わりは皆無だった。おかげで、ガーラムの記憶にレアールは殆ど残っていない。せいぜい、優しい言葉をかければ逆らわなくなる奴だから、嬲って遊ぶには都合の良い相手、という印象しかなかった。
(そんな奴が、今ではこれか)
 ガーラムは再度、溜め息をつく。今やレアールの思念は活性化し、時々は行動を支配さえする。ガーラム自身にはその気がないのに、意思に反して動かされてしまうのだ。例えば自分が食べるつもりだった串焼きの肉を渡したり、ベリーの群生場所を見つけて教えたりと。
 赤毛のハンターと遭遇しない間は、別段問題はなかった。破壊活動や殺人を試みない限り、レアールからの干渉はなく、自由に行動させてもらっていた。だのに、である。
 パピネスという人間の存在自体は、ルーディックの眼を通して前から知っていた。レアールのかつての相棒だという事も、その記憶から読み取っていた。しかし、あくまでもそれだけである。
 妖獣ハンターで特殊能力者、ヤンデンベールで任務に就いている男、そういった認識しかガーラムにはない。好意も悪意も、特に抱いてはいなかった。はっきり言って、ルーディックが特別に構ったり世話を焼いたりしない限り、どうでもいい存在だったのである。 それなのに今はどうか。死んだはずのレアールの残留思念に縛られて、無遠慮に寄ってくる相手を突き放せない。煩わしい、迷惑だと感じながら連れ立って歩き、欝陶しい、一人になりたいと思いながら同じ部屋に泊り。
 何より我慢がならないのは、現在の自分の外見が相手に「一緒にいた頃のレアールそっくり」と思い込まれている点である。それ故に執着され延々付き纏われているのだから、ガーラムとしてはたまらない。
 だがこれは、パピネスを責めても仕方がなかった。妖魔の術に抗える人間など、普通いないだろう。まして術にかけられた事すら知らなければ、どうにもなるまい。
 ハンターへそのように錯覚させる術をかけたのは、死せる妖魔の遺志だった。自分が味わった絶望に至る孤独をパピネスには味わってほしくない、という思いから発動させた術である。何度解除を試みても、無駄だった。レアールが最後に成し遂げた術は解けなかった。
(馬鹿げた話だ。そんなに大事で守ってやりたい相手なら、自分が生きて側にいれば良かったろうが。己はさっさと死んでおいて、こっちに身代わりをやらせるなぞ、冗談じゃない。勝手が過ぎる)
 身勝手な振る舞いに関しては、他人の事を言えないはずのガーラムである。けれども自分の行いは棚に上げ、心の内で盛大に文句を言う。口を動かし言葉にするのでなければ、至って簡単である。いくらでも罵詈雑言を並べる事が出来た。
 やがて異界の魔物は、寝台を移ろうと起き上がる。暑い、狭い、寝返りも打てない、では耐え難い。泊まった宿の寝台は、どう見ても大人の男が二人も横になるような造りではなかった。
 もっとも、側近級の妖魔ともなれば本来暑さ寒さに応じた体温調節や、体の周囲の空気を一定の快適温度に保つ事は可能である。可能なのだが、ガーラムは未だレアールの体と妖力を上手く使いこなせていなかった。そういう能力がある、出来るはずなのはわかっている。ただ、肝心のやり方がよくわからないのであった。
 何度目かの溜め息を漏らし、汗で額に張り付いた髪を払った彼は、寝台を半分以上占拠し眠る相手の上を跨いで静かに移動を開始した。
「……んーっ」
 寝台の軋む音と、自分を乗り越えようとしている相手の動きを感知したハンターは、床に降りかけていたガーラムを捉まえ、強引に引き倒す。しらふならまずやらない行動だった。してみると、やはり潜り込むのは寝呆けての事なのだろう。
「……暑い」
 ハンターに抱え込まれた形で引き倒されたガーラムは、山程ある苦情の中から一つだけ選んで口にする。暴力に訴えても良かったが、どうせレアールが動きを封じるだろう、と思うとその気が失せた。相手がこのハンターでは、試してみる迄もない。
 抱えて押さえ込んだ青年の切実な文句を聞いたパピネスは、夢の国の住人のまま苦笑する。
「うん、さすがにこうして体くっつけてると暑いな」
 そう言いながらも、回した腕をはずそうとはしない。全くどういうつもりなんだか、とあきれ果てた異界の魔物は、肩を竦めて体を捩り、相手の顔を覗き込む。
「けどさ、こうして掴まえていなかったら、また消えちまうんだろう。お前は」
「……?」
「これは夢だもんな」
 ぼんやりとした口調で、ハンターは呟く。
「何度も同じ夢を見るんだ。お前を掴まえた、と思った途端に目が覚める。そして独りだと気づくんだ……」
 ガーラムは眉を顰める。どうやら赤毛のハンターは完全に寝呆けているらしかった。寝呆けて、レアールと自分を混同した寝言を吐いている。
「夢はいいな。お前に会えるし、こうやって抱き締めて触れられる。何だ、生きてたのかって、安心しちまう」
 パピネスは笑い、更にガーラムの頭部を引き寄せて、頬に手をかけた。
「でも夢は夢で……、現実にはお前は死んでいて……。もうどこにもいないんだよな」
 だから、とパピネスは訴える。夢の中ぐらい側にいろ、俺から離れるな、と。
「…………」
 命令同様の哀願をされ、やれやれとガーラムは眼を閉じる。ルーディック、これがなつかれるって事なら自分は少しも楽しくないぞ、と胸の内でぼやきつつ。
 それでも、己の態度一つ、仕草一つに一喜一憂する相手を見て奇妙な気分になったのは確かだった。背中にしがみつかれて泣かれた後、置き去りに出来なかったのは、レアールの思念に突き動かされたからだけではないと彼は思う。あれはたぶん、自身で選んだ行動だ。
 けれども、どうしてそんな真似をしたのかと問われたら、答えを返せない。ガーラムにはわからなかった。あの時感じた奇妙な気分の正体がなんなのか。どうでもいいはずの相手を放っておけず、手を差し伸べたのは何故なのか、彼にはわからなかった。
「………!」
 思考の迷路にはまっていた魔物は、その感覚に鳥肌立ち我に返る。
 赤毛のハンターは、明らかに寝呆けていた。しらふでやってる行為ではなかった。しかし、……これにどこまで付き合うべきだろうか、とガーラムは疑問を抱く。いや、それよりも問題は、レアールの思念がどこまでこれに付き合わせるつもりでいるか、だった。
 ガーラム自身は、既にこの時点で断固拒否したい、と念じていた。暑くて寝苦しくて、回された腕が邪魔くさい。それだけで充分不快なのに、この上肌を撫で回されたりキスされたりはしたくなかった。
 何より、レアールと勘違いされてそういう真似をされるのは御免だった。相手は、これを現実とさえ認識していないのだから。
 だのに、無遠慮にまさぐってくる手を振り払おうにも腕が自由にならない。己の意思では動いてくれない。
(レアールっ! 貴様、馬鹿もいい加減にしろ。やめないかっ!)
 異界の魔物は珍しく本気で焦り、困惑していた。こんな事態は、考えてもいなかったのだ。こうした遊びをルーディックに対し仕掛けるのは楽しいと思っていたが、自分がされる側に回る気など毛頭なかったのである。
(……何だ?)
 視覚に映っているのとは異なる映像が、突然目の前に被さり一切を覆う。幻覚と見做すにはひどく現実的な、気配と臭気と唸り声。手の下にあるのは、寝台に敷かれていたシーツではなく、湿った土と草だった。
(まさか……!)
 ガーラムは、この異常な事態が何であるかを悟り、歯噛みする。
 彼はレアールの記憶の一部に取り込まれ、レアールとして過去にいた。そして過去が既成事実である以上、全ての事象は変更なく進行する。
 ガーラムが持つ力は、ここでは何の意味もなさなかった。何故ならここにいるガーラムは、異界の魔物として存在している訳ではないのだから。
 力がないという事、遊び半分に嬲られるという事がどういうものなのか、ガーラムは知らなかった。けれど知らない者がこの体で生きる事を、肉体の本来の持ち主は認めなかったのである。

「……ん……、うんっ? げっ!」
 翌早朝、暑さと寝苦しさに目を覚ましたパピネスは、眼にした光景に暫し硬直した。暑さも吹き飛ぶその情景に、寒気すら感じて硬直したまま冷や汗を流した。
 毎回宿に泊まった翌朝は、自分が夜中に夢遊病状態でどこへ移動していたかを知り頭を抱えたのだが、この日の朝はそれだけでは済まなかった。
 こちら側の寝台で眠りについたはずの青年は、毛布も被らずパピネスの上で斜め横になっていた。片足を左側、寝台下の床につけ、もう片足も寝台の縁すれすれに投げ出して。一方頭部は壁側右、ハンターの肩近く、シーツに沈めていた。
 それだけなら別にどうという事もなかったのだが、相手の着衣の乱れを見れば、己が昨夜何をやらかしたかは一目瞭然、明白である。
「えーとぉ……」
 パピネスはゴクリと喉を鳴らし、そろそろと手をはずしにかかる。目覚めた時、右手は青年の背中に乗っかり髪を掴んでいた。左手は、大胆にも衣服の中に忍び込み、直接肌に触れていた。
(これってつまり……つまり昨夜のアレは夢じゃなかった訳かぁ?)
 痺れて感覚がろくになくなった指先を見つめ、赤毛の妖獣ハンターは絶句する。これまでも寝呆けて何度か相手の寝台に潜り込んではいたが、体を抱き寄せたり撫で回したりした事はなかった。なかったはずだった。あれば、相手は苦情を言ったろう。いくら喋るのが苦手でも、必要最低限の文句は伝えるに決まってる。
 だのに今回は……である。状況を分析する限り、狭くて寝られないと移動しかけた相手を捉え、一晩中拘束した模様だった。のみならず、衣服をはだけて悪さまでしたらしい。着衣の乱れが上半身だけで済んでいるのは不幸中の幸いだが、だからといって相手に許してもらえる範囲内、とは思えなかった。
 青年も、現在は熟睡してるにせよ、自分がされた行為はしっかり覚えているだろう。昨日までのように、普通に接してくれと望むのはまず無理である。
 自己嫌悪に浸りつつも、パピネスは相手が無事生きている事実に安堵した。最後までやらなかったのは互いの着衣を見る限り間違いないが、相手が吹き飛ばずに生きている、それだけは神に感謝できた。
 目覚めたらそこに血塗れの肉片、では悔やんでも悔やみきれない。自覚してやった事ならまだしも、夢だと信じて、寝呆けてやった行為で死なせたらあんまりである。
(けど、キスはしたんだよなぁ。てっきり夢だと思い込んでたから、額に頬に唇に首筋、えっとそれから……)
 思い出して、パピネスは髪にも負けぬ程赤くなる。抵抗された記憶はなかった。だから余計、本物のレアールを相手にしている気分になったのかもしれない。
 だが、唇に触れた後で眼にした相手の表情は、嫌だと必死に訴えかけていた。途中でやめたのは、たぶんそのせいだろう。嫌がってるのに続けるのはまずい、寝呆けてはいても自分はそう判断を下したのだ。
(しかし途中までにせよ、体に何の影響もなく無事に済んだって事はこいつ人間じゃないんだよな。でなかったらやばい事態になってたぜ。気をつけなきゃ俺、歩く殺人兵器っつーか、害獣だ。それにしてもなぁ……)
 何も知り合ってからまだ二週間にもならない、名前すら聞いていない相手にこんな真似しなくても良かろうに、とパピネスは肩を落とす。確かに、自戒して長らく禁欲生活を送ってはきた。だが、だからって何故男相手にその気に、と考えれば答えは一つしかない。レアールだと思い込んでいたからだ。そうでなければ手は出さない。
「……ってもなぁ、そんなのこいつの知った事じゃないだろうし……」
 何にせよ、同意もなしにやっていい事ではなかった。
「……起き次第、土下座して謝罪だな」
 それで顔が変形するくらい殴られたとしても、まぁ文句は言えないさ、と前髪を掻き上げたハンターは、溜め息を吐きつつ自分が寝ていた側の寝台へ戻った。
 だが、謝罪するつもりで起きるのを待った相手は、その朝ついに目覚めなかったのである。


「ハンターっ! 何やってんのさ、こんなトコで。あれからカザレントに戻ったんじゃなかったの?」
 叫びながら宙より降下してきたのはブラン・キオ、ゲルバ専属妖術師の身分を持つ、少年の外見の妖魔だった。
 妖獣の襲撃を受けて廃村となった村の川べりで、誰も摘まない熟したベリーの実をせっせと摘み取っていたパピネスは、空を見上げて相手の姿を認めるやあきれ顔となる。人の気配がまるでない場所とはいえ、真っ昼間からふわふわ飛んで人外の証明してるなんて、と。
「そっちこそ、ここで何をしてるんだ、キオ。王都で国史の訂正作業に関わってるんじゃなかったのか?」
「あのねぇ、ハンター。僕みたいな力のある妖魔が、今のゲルバでのんびり史書の訂正作業のみしていられると思う? めっちゃ忙しいんだよ。ここにも仕事で寄ったんだし」
 地面に降り立ったキオは、心外だと言わんばかりに腕を組み、唇を尖らせる。
「そりゃご苦労だな。で、仕事というのは?」
 相変わらずなキオの様子に苦笑して、パピネスは問う。
「今月中にゲルバ各地を見回って、弱ってる家畜がいたら生気を送り込み、来年の春まで無事生きられるようにしなくちゃいけないんだ。そうお願いされたから。あと畑の野菜には成長促進の術をかけて、一日でも早く収穫出来るようにしなきゃまずいって言われたしね。土中で実るジャガ芋や人参はともかく、それ以外の野菜は霜が降りたら駄目になるって聞いた。急がなきゃ大変だよ。ゲルバは本来、もう秋に入ってる時期だしさ」
「もう秋?」
 それにしちゃ気温が高いようだが、と思いつつパピネスは首筋の汗を拭う。ブラン・キオは神妙な顔で頷いた。
「うん。本当はもう秋なんだよ、いつものゲルバなら。術で夏に留めてはいるけれどね」 廃村を取り巻く森の草木、その鮮やかな緑を眺め、キオは疲れた笑みを見せる。
「この国の雪と氷を解かした時、八月だから蒔くだけ無駄と思った者もいたようだけど、大半の農家は一縷の望みを託して畑を耕し、作物の種を蒔いたんだ。それは何とか収穫させてあげなきゃいけないよね? 真面目に働いてる人達を、飢えで死なせる訳にはいかないから」
「キオ……、ちょっと会わないうちにずいぶんと学習したじゃないか」
 赤毛のハンターは手を伸ばし、偉い偉い、と少年の外見をした妖魔の頭を撫でる。子供扱いするなってば、とそっぽを向いたものの、ブラン・キオは本気で嫌がってはいなかった。
「で、こうした廃村での僕の仕事は、皆殺しにされた後ほったらかしになっていた遺体を土に還し、病気の発生等を防ぐ事。王都の両陛下は、全領主に襲われた地域の亡骸を放置するべからずと命令を出したようだけど、領主配下の者が全滅した村を探して作業するより、僕が出向いて処理する方が早いんだよね。正直な話」
 面倒だけど、妖獣が暴走したきっかけは自分の指示な以上仕方ないや、とブラン・キオは言う。その一方で彼は、国王も王妃も人使い荒くて参るよ、とも言った。
「でも言ってる事は二人とも理に適ってる。情もあるから、逆らえないよね。それで、ハンターはどうしてここにいるのさ。カザレントに帰るつもりで出て行ったくせに、何もたもたしてるの?」
 皮肉たっぷりに呟くと、赤毛のハンターの腕を掴んだキオは、ニンマリ笑って問いかける。
「引き止められるのが嫌で、わざわざ僕の留守中にあの館から抜け出したんじゃなかったかな? だのにカザレントから遠い廃村でのんびりベリー摘み? 変だよねぇ」
「あのな……、これには色々事情があるんだって」
 渋い表情で応えると、パピネスは篭を手に歩きだす。
「どーんな事情? ハンターが任務さぼるなんて余程の事だよね」
 横に並んだブラン・キオの質問に、パピネスは口をへの字に曲げる。だが、彼にとっては正真正銘余程の事情、だったのである。眠り続けて目覚めない青年の存在は。

 全滅した村の中でも、比較的家屋が破壊されていない平屋が並んでいる通りに、動く人影があった。近くの壁にすがるようにして、長い髪の青年が歩いている。しかしその足取りはかなり危うい。見ている方が不安になる程しばしばよろけ、倒れかけては何とか踏み留まる、そんな状態だった。
「おいっ?」
 その姿を眼にするなり、パピネスはベリーの入った篭をキオに押し付け、走りだす。
「目が覚めたのか? いきなり動いて大丈夫か」
 後に続いたブラン・キオは、はぁん、これが成り行きでハンターの連れになった相手、眠り病って奇病に罹った病人か、と思いしみじみと眺め見る。
(なるほどねぇ、この容姿じゃハンターが任務放棄してまで側にいたくなるのも無理ないや。あのルーディックと呼ばれてた妖魔にそっくりだもんね。髪と眼の色を除けば)
 そう納得し頷いた彼の目の前で、気力が尽きたのか青年はグラリと傾き、ハンターの腕へ倒れこむ。
「……ったく、無理して動くからこれだ」
 ぼやいて、パピネスは失神した相手を背負う。
「水以外何も受け付けずに五日間眠ってた奴が、起きてすぐ動こうなんて無茶なんだよ、全く。少しは考えて行動するもんだ」
「ふーん」
 少年の姿の妖魔は、篭の中からベリーの実をつまみ口にすると、ハンターの言葉に気のない相槌を打つ。
「ずっと寝たきりだったくせに、起きられるようになってすぐ出て行った人間がそれを言うのかなぁ」
「ぐっ……」
 痛烈な一撃を受け、言葉に詰まったパピネスは唸る。
「キオ……、やっぱり相当根に持ってるな?」
「何を?」
「俺だって、留守中勝手にいなくなったのは悪かったと思ってるさ。けどな、ちゃんと予告して去ろうとしたら、引き止めたんじゃないか?」
「知らないよ、そんなの」
「知らないはないだろ。そんなに拗ねまくっといて」
「拗ねてないってば。僕には関係ないもん」
 ツンとして村の中心部を通り過ぎ先へ進むブラン・キオに、パピネスは苦笑しながら声をかける。
「おーい。別にいいけど、俺が使っている家はここなんだが。いったいどこまで行く気なんだ? キオ」
「……っ! ハンター、性格悪い! 先に言ってくれなきゃずるいよ、そういうのは!」 赤面したキオは篭をブンブン振り回して文句を喚き、より相手の笑いを誘う結果となった。
「笑うなってばーっ!」

 再び昏睡状態となった相手を奥の部屋の寝台に横たわらせると、水に浸した布で汗を拭き一息ついたハンターは、台所でベリーの実を潰し飲み物作りを始めた。この五日間というもの、水しか飲んでくれなかった青年に何とか栄養を取らせようと考えた末の、苦肉の策である。スープは駄目だったけど、これなら飲んでくれるかもしれない、と。
 しかし、容器に入れたそれを口元にあてがい飲ませようと試みても、なかなか上手くいかない。濃い紫の液体は、青年の顎や首筋、衣服の襟元をただ濡らすばかりであった。
 椅子に腰掛けその様を眺めていたブラン・キオは、訝しげな表情で首を傾げる。
「ねぇハンター。水しか飲んでくれなかった、とかさっき言ってたけど、水飲ませる時もそうやってたの? 口移しで飲ませた方が確実じゃない? もったいないよ」
 言われたパピネスは、うんざりした眼差しを向ける。
「確かに水を飲ませた時は口移しだったさ。けどな、それは二人っきりだったから出来た話だ。今そこで見物してる奴がいるのに、そんな真似が出来ると思うか?」
「えー、やだな。僕を気にしてる訳? 案山子か何かと思って無視すればいいのに」
「そんなお喋りな案山子がいるか!」
 真っ赤な顔で怒鳴られたキオは、腹を抱えて笑いだす。悪気のなさに毒気を抜かれたパピネスは、諦めて果汁を口に含み、眠ったままの青年へ向き直った。
 頬に上がった血の気は一向に引く気配がない。今でも相手の顔を間近に見ると、心臓が苦しくて仕方なくなる。だのに今度は、見物人のオマケ付きで口移しをせねばならない。ハンターの緊張は、いやが上にも高まった。
 それでもどうにか相手の唇をこじ開け、口を重ね合わせて液体を流し込む。努力の甲斐あって、ベリーの果汁は無事病人の喉を通過した。安堵感から脱力したパピネスの耳に、キオの明るい声が届く。
「成功! 飲んでくれて良かったねーっ。ところで台所に残ってるベリー、食べても良いかな? 朝から働き詰めで疲れちゃった。疲労回復したいんだけど」
「……好きにしろ」
 ただし俺の分は残しておけよ、と釘を刺して、赤毛のハンターは連れの青年の世話を続ける。果汁の汚れを濡らした布で拭き取り、上着を着替えさせたところで、彼は台所へと戻った。
 窓が一つしかない薄暗い台所で、ブラン・キオは粗末な木の椅子に座り、幸福そうな表情で数種類のベリーを口に放り込んでいた。やや意外な思いで、パピネスは向かいに座り問いかける。
「好きなのか? こういう野性の木の実」
「うん。ちょっと懐かしいね」
「懐かしい?」
 少年の姿の妖魔は食べるのをやめ、微苦笑する。
「僕を育てた人間は料理が苦手で、失敗ばっかりしてたんだよ。使った食材がもったいないから、僕は何とかそれらの失敗作を食べようとする訳。そうすると彼は森とか歩き回って、食用の木の実草の実を篭いっぱいに摘んで戻ってきてさ。申し訳なさそうに照れ笑いを浮かべながら言うんだ。無理しないでこっちを食べよう、キオってね。それから真っ黒焦げの料理の代わりに、二人で篭の中の実を分け合って食べたんだよ」
 こんな風に食べてると、その当時を思い出す。この味も懐かしいよ、見かけは違うけど味は似てるね、とキオは言う。ふぅん、と頷いたパピネスは手を伸ばし、自分もベリーを味見した。実は以前食べた時と同様、熟して甘い。けれど、前程美味しいとは感じられなかった。
「ところでキオ、今月中にゲルバ各地を見回って仕事を済ませなきゃいけないってのは何でだ? 何故そんなに作業を急ぐ?」
 パピネスの質問に、キオはげんなりした表情となる。
「やだな、今そんな事思い出させないでよ、ハンター。考えたくなかったんだから。この国を離れる事なんか」
「離れる? ゲルバをか? いったい何で」
「仕方ないよ。状況が状況だから、僕がプレドーラスへ行くしか対処の仕様がないんだもん」
 肩を竦めたキオは、ちょっぴり辛そうに言う。
「ゲルバの国家予算はこないだまで冬にし続けたせいで出費がかさんで大変だし、税収は殆ど望めない。この上他国に出兵なんて、どう考えても無理なんだ。妖獣の被害にあった人間の数や、餓死者凍死者の数さえまだ掴めていないんだからね。でも、王妃の母国を見捨てたりは出来ない。食料援助とか無償でやってもらっておいて、自国の状態が苦しいからと同盟国の危機を見て見ぬ振りするなんて真似、あの二人には出来っこないんだ」
 だから僕が行って働くしかない、と少年の姿の妖魔は呟く。
「僕の妖力なら、一人で万の兵力に匹敵する。それは確かだ。問題は、妖魔界で定められた法の中でも最大級の禁止事項に抵触する行為をする訳で、王が気付いたら側近を派遣し阻止する可能性が大きいんだよね。一対一の戦いなら負けないと言いたいところだけど、相手がケアス並の妖力の持ち主だったら正直危ういし、二名も派遣されて来た日にはお手上げだな。僕の生命は、間違いなくその日で終わるよ」
「おい……」
 パピネスは席を立ち、身を乗り出してキオを見つめる。
「それはいったい何の冗談だ? 出兵だのプレドーラスに行かなければだのってのは」
 キオは眼を丸くする。
「嘘っ、ハンター何も耳にしてないの? 全然何も?」
「だから、何の話だと聞いている」
「ドルヤの傭兵がプレドーラスの王城内の牢に押し入って、元イシェラ国王とその娘のカザレント公妃を連れ出そうとしたんだよ。決められた順番を待たず自国に連行して、イシェラ全土を譲渡すると誓約させる目的で。でも途中で兵士に発見され斬り合いになって、イシェラ国王が巻き込まれ亡くなった。……ねえ、まさかこんな有名な話を知らないって言うの? ハンター」
 顔を強張らせ絶句するハンターに、キオはあきれて呻く。本当に知らなかったんだと。 「それがきっかけで、両国の関係は急速に険悪になったんだよ。イシェラ国王が死んだ責任を互いに相手のせいにして、とうとう先週の中頃ドルヤが正式に宣戦布告したんだ。だから今この両国は戦争中。プレドーラスの友好国にして同盟国であるゲルバも、知らんぷりは出来ない訳。わかった?」
 キオの説明に、深い息を吐いてパピネスは頷く。
「でもね、はっきり言ってもしプレドーラスがゲルバの状況なんか考慮せず、同盟条約に従って軍を動かせの支援金をよこせのと要求してきたのなら、王妃は撥ね付けるよう提言したと思うよ。自分の母国であっても」
「……って事は、要求してこなかったのか? プレドーラスは」
「うん、そう」
 ブラン・キオは複雑な表情で応える。
「ドルヤが宣戦布告、の報がゲルバの王都に届いたのと前後して、プレドーラス国王から、つまり王妃の父親から私的な書簡が届けられたんだ。心配無用、自国の立て直しを優先せよと書いてあったらしいよ。ゲルバに嫁いだ以上、ゲルバを第一に考えろって」
「……」
「ドルヤは初めから戦を想定して、準備を整え攻め入ってきた。不意を突かれたプレドーラス側は、圧倒的に不利なんだ。だのにその国から無駄な出兵をするんじゃない、自国を優先しろと言われたら……、放っておけると思う? 無理を承知で何とか出来ないか考えてしまうのが人ってもんじゃない?」
 パピネスは何も言えなかった。
「国王夫妻は考えて考えて、悩んだ末に僕に託した。プレドーラスの未来をね。だったらその信頼に応えてやらなきゃいけないよ」
「だがキオ、それは妖魔界の……」
「うん。妖魔界の禁止事項に触れる行いになる。人間界との行き来が頻繁に行なわれるようになった頃、出来た決まりなんだけどね。妖魔は、その妖力を使って異なる世界の歴史を捩じ曲げてはならない。これが不文律」
 必ずしも守られてる訳じゃないよ、とキオは付け加える。そもそも遊びでそうした悪さをする妖魔が多かったから、妖魔界の王はこんな決まりを作ったのだと。
「例えば妖力でどこかの国の村とか町を滅ぼした場合は、被害規模にも寄るけどまぁ半年ぐらいの謹慎を命じられる。僕が今月初めまでゲルバにかけてた術だと、ばれたら事情を考慮してもらっても、妖力を封じられて五十年くらいの追放処分か、もしくは独房入りかな。国を滅ぼした訳ではないから、その程度で済むと思うけど」
「じゃあ妖力を使って戦争に関わり、勝敗を左右した場合には?」
 その質問に、キオは苦笑し天井を見上げる。
「答えはさっき言ったと思うよ、ハンター。現場を見られたら問答無用、その場で消される。捕えて妖魔界に連行し裁く、なんて余計な手間はかけない」
 パピネスは呻く。
「ゲルバの国王と王妃は、それを承知で行けと言うのか」
 まっさかぁ、とキオは両手を上げて否定する。
「二人ともそんなの知らないよ。知ったら僕へお願いなんか出来ないに決まってる。だからこれは内緒の話。ハンターも誰にも言っちゃ駄目だよ」
「ブラン・キオっ!」
 詰め寄られても、キオは顔色を変えない。
「決めたんだよ、もう。僕はプレドーラスへ行って王妃の祖国を守る。ゲルバの為に、あの二人の為にね」
 赤毛のハンターは、言うなというように両の拳をテーブルに叩き付けた。暫らくして、どうにか激情を抑えた彼は顔を上げ、長くもない付き合いの妖魔に問いかける。
「……あんたは、それで良いのか」
 うん、とキオは微笑で答えた。
「あのね、ハンター。ゲルバ国王の声はね、僕を育てた人間の声と同じなんだよ。眼を閉じて聞くと、彼が生きていたのかと錯覚するぐらいに」
「…………」
「その声で名前を呼ばれて頼まれて、無事に帰ってくるようにと囁かれて、ギュッと抱きしめてもらったらさ。もう最高じゃない? ああもういいや、って思っちゃったんだよ。僕は。もうこれで死んだっていいってね」
 だから行くんだ、とキオは言う。
「今日、偶然でも会えて良かったよ。忙しくて、会いに来る暇なんか今後絶対ないと思うから」
「八月は、今日を入れてもあと三日だな」
「そう。あと三日だよ。連日多忙でヘトヘト」
 でも、自分でやると決めた事だから、ちゃんとやり遂げて行くよと決意を口にする相手に、パピネスは握手を求める。
「生きてろよ。……生き延びろ、必ず」
「ハンター?」
「ハンターじゃないだろう」
「?」
 首を傾げたキオの様子に、赤毛のハンターは苦笑する。
「俺の名前はパピネスだ。忘れたのか?」
「!」
 ブラン・キオは眼を輝かせる。握り合わせた手に、力がこもった。
「名前で呼んでいいの?」
「……名前ってのは、その為にあるんじゃないか?」
 相手が何故そんな事を聞くのか、充分承知の上でパピネスは言う。自分はずいぶん周りの者を拒否してきたのだな、と改めて実感しつつ。
「うん、……うん、そうだよね。名前は呼ぶ為に付けられるものだよね」
 パピネス、とキオはハンターの名を口にする。
「また会おうね。場所はどこになるかわからないけど」
「ああ、また会おう。俺もじきカザレントに帰ると思うが、互いに生きてりゃいつかは会えるさ」
「うんっ、約束だよ!」
 

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