カディラの風〜後編〜《2》


「そんな作戦など認められんっ! 断じて許さんぞっ 死にに行くようなものではないかっ 」
「へっ?」
 扉を開けたパピネスの耳に最初に飛び込んだのは、雇い主である大公ロドレフの怒鳴り声、であった。
 見張りとして部屋の前に立っていた兵士達は、急ぎ扉を閉めて背中を向ける。こんなにも不機嫌な大公を見るのは久々であった。関わらない方が無難である、と彼等は顔を見合わせ頷き合う。
「おい、大公さん」
 扉を背にしたまま、パピネスはあきれて呼びかける。
「人を呼び出しておいて親子喧嘩か? 勘弁してほしいぜ」
 その声に反応し、凄まじい形相の大公に両肩を掴まれていたルドレフが顔を向ける。まるで何事も起きていないかのように。
「ああ、申し訳ないが用があったのは大公御自身ではないんだ、ハンター。私が呼び出すようお願いしたのだから」
「ルドレフさんが?」
「そう。今度の作戦にはハンターである君の協力が必要不可欠で……」
 説明しかけたルドレフの台詞を、大公の一喝が遮った。
「認めんと言っておるっ!」
「……大公」
 当のルドレフより、室内にいた他の面々の方がその険しい声に身を竦ませる。イシェラ国王ヘイゲルと、彼の従者エフトス。そして公子の護衛である、褐色の肌と右の額から頬にかけての傷を持つ隻眼の剣士ザドゥと、妖獣ハンターとしての能力保持者パピネス。
 皆、決して臆病者ではない。むしろ多くの修羅場を体験し、乗り越えてきた者達ばかりであった。が、それでもロドレフの激しい怒りを前にすると、多少の心理的動揺は隠せない。血の大公と呼ばれた男が本気で怒っている姿など、彼等はこれまで眼にした事がなかったのである。
 だが、その怒りを一人平然と受け流しているのが、亡き宰相の血を引くカザレントの公子、ルドレフであった。この中では一番弱そうに見える、女性のような長い髪をした華奢な外見の青年。
 そんな息子の肩を力任せに掴み、気の弱い者なら失神しそうな眼差しで睨み続けていた大公は、相手が一向に動じないと知って、深々と息を吐いた。
「……その作戦、ラガキスをこの場に呼んで聞かせたら、果たして何と言うかな?」
 大公の激怒にも何ら関心を示さなかったルドレフの顔に、初めて変化が起きる。なだらかな弧を描いていた眉が、憤慨だと言いたげに吊り上がった。
「二十三年ぶりの一家団欒を邪魔するというのは、とんでもなく悪趣味だと思いますが。大公」
「聞けば反対して止めるとわかっているから、来てほしくないのだろう?」
「ようやく妻と子に再会できたのです。私事で呼び出すなど、遠慮すべきでしょう。せめて今日だけでも」
「ラガキスは間違いなく反対する。私と同じくだ! こんな危険な作戦を許す訳がない。お前は私の意見は聞けずとも、ラガキスの言う事なら耳を傾けるのか?」
 聞く者の胸を痛くするような、悲痛な声だった。しかし、それすらもルドレフには感銘を与えなかったらしい。
「先程説明した作戦は、今度の戦の被害を最小限に抑える為、また徒に長引かせぬ為にもやらねばならぬ事です。大公にもその点は御理解いただけたと思っていたのですが、私の思い違いでしたでしょうか。カザレントの君主としてこれに勝る代案があるのでしたら、是非とも御教授願いたいところですが」
 パピネスとザドゥは互いに視線を交わし、心の底から溜め息をつく。物には言い様があるだろうに、と。先程からのルドレフときたら口調は冷淡、眼差しは冷ややか、愛想の欠片もない。可愛げがないにも程がある態度で応対している。
 大公の示す怒りが、息子を案じる父親の心情から出たものである事は、誰の眼にも明らかだった。我が子を死の危険に曝したくないという、親の自然な叫びである。
 然るにルドレフの方はと言えば、物分かりの悪い上司に必要な事柄を仕方なく説明している部下のそれ、なのだ。ここまで双方の意識に隔たりがあっては、仲裁も楽ではない。どうする? と彼等は互いに探り合い、傍観を決め込んだ。この場に割って入るのは、かなりの勇気がいる。
「認めんぞ! わざわざ殺されに行く馬鹿がどこにいるっ 」
「我々が死ぬ可能性については否定しません」
 大公の言葉を受けて、あっさりとルドレフは答える。
「ですから、そうならぬよう万全を期して行くと言っております。私の立てた作戦が御不満なら、取るべき道を指し示して下さい。貴方はこの国の大公です。命じて下されば民である私はそれに従いましょう。さあ、どうか教えて下さい。他国に先んじてイシェラの王都を奪回する為の有効な策、妖獣を駆除する確実な手段を」
「…… 」
 大公は唇を噛む。妖獣を倒すなら、ハンターを使うのが一番である。そのハンターの中でも軍の部隊には配属させず、最後まで手元に残した赤毛の妖獣ハンターは、ずば抜けて強い力を持つ。先行してイシェラの王都に向かい、妖獣の主であるユドルフを討つというのなら、間違いなく戦力となるだろう。
 しかし、それでも危険な事に変わりはない。ロドレフは、行かせたくはなかった。まだ会ってから十日にも満たない、自分を父とは呼んでくれぬ息子をここで手放すのは、いかなる理由があろうとも嫌だった。辛かった。
 わかってはいる。妖獣相手の前代未聞の戦を早めに切り上げるには、彼等を統率している存在を倒すしかないと。力で人に勝る妖獣が、統制の取れた攻撃を仕掛けてきた場合の人的被害は、想像もつかない。だが命令者を失った後の妖獣は、おそらく集団ではなく個々で勝手に動くだろう。そうなれば、個別に退治し突破する事も可能だ。
 心の内で納得してはいる。ルドレフの立案した作戦は、確かに一番効率が良いと。ただそれが失敗した場合、いや仮に成功したとしても、この危険な作戦に身を投じる者達が生きて帰ってくる確率は、極めて低かった。無いに等しい、と言っても良い。その作戦指揮を取るのが、他でもないルドレフ本人なのである。
 ロドレフは天井を見上げ深く息を吸うと、突然前触れもなしにルドレフを抱き締めた。いきなりだったので、避ける暇もない。
「え? あのっ、大公?」
 さすがに少々うろたえた声が、耳を掠める。ロドレフはちょっと笑みを浮かべた。ようやく見た目に相応しい、子供な声が聞けたと思う。実際には、外見がどれ程幼く見えようとルドレフは成人した二十三歳の青年で、子供ではないのだが。
「どうあっても行くと言うならば、生きて帰って来るがよい。イシェラの地で倒れる事なく、我が元に帰ってまいれ。良いな?」
「………」
 また随分と難しい条件を、とイシェラ国王ヘイゲルは思う。死なせたくないならば、絶対行かせるべきではない、と彼は考えていた。ようやく会えたばかりの息子を、こんな形で手放すべきではない。己の生命を狙い、自国を乗っ取ろうとしていた男の国を妖獣から救う為に、我が子を死地に向かわせて良いはずがないのだ。
 あまりの申し訳なさに、せめて王都までの近道、及び王宮内部の抜け道に精通している従者のエフトスを同行するよう、ヘイゲルは彼等に提言する。
 エフトス自身、これはイシェラの問題で他国の公子を巻き込むなどとんでもない、と思っていた事もあり、死を覚悟の上で同行に合意した。が、ルドレフ・カディラはこれを却下した。近道は地図で、抜け道は大まかな見取り図を用意し口頭で説明していただければ結構です、と。
「ただ一人死を逃れ、共にカザレントへ落ち延びた御自身の従者を、我等に同行させようという御配慮には感謝致します。ですが、そのお心だけでもう充分ですから」
 ザドゥとパピネスの顔に、堪え切れない苦笑が浮かぶ。ルドレフは言葉を選んで申し出を辞退しているが、何の事はない、足手纏いは御免だというのが正直な心情なのだ。戦士はそれに気づく。大公もどうやら見抜いているらしい。ところが、当の本人達は全く気づかず、しきりに申し訳ながり重ねて同行を望むのだ。
 とうとう微苦笑と共に、ロドレフが席を立つ。
「さて、ここから先の細かい打ち合わせは彼等に任せようではありませんか。我々は外で涼むと致しましょう。イシェラ産のワインには到底かないませんが、昨年は我が国も葡萄が豊作でした。出荷されたワインもなかなかの出来ですので、是非ともお二方には御賞味いただきたい」

 まだ言い募ろうとするヘイゲルとその従者を引きずるようにして大公が退出すると、残された三人は我慢の限界でいっせいに吹き出した。
「あーっ、大公に感謝。まさか目の前で笑っちまう訳にはいかないもんなぁ。相手は一応大真面目なんだし」
「俺もさっきから顔が引き攣って仕方がなかった。決意は立派だが、それだけで無事辿り着ける程、敵さんも甘くはなかろうさ」
「それじゃ大公の言う通り、細かい打ち合わせに入ろうか。あっ、ごめん。ハンターにはまだ作戦について何の説明もしていなかったっけ。……って、どうかした?」
 まじまじと自分を見つめている護衛剣士と妖獣ハンターの、半ばあきれたような表情を眼にして、ルドレフは首を傾げる。
「……ルドレフさんって、自覚なしの二重人格」
 肩を竦めて、パピネスが呟く。先程まで大公に対し、あれだけ冷ややかな態度を取っていた人間と同一人物とはとても思えない。無邪気な笑顔と子供っぽい口調に、さすがのハンターも目眩をもよおす。同感だな、と言うようにザドゥも頷いていた。
「だって二人は大公じゃないんだから、肩肘張る必要はないじゃないか」
「そこがおかしい。どうして大公相手だと、肩肘張って対応する必要があるんだ? 俺は部外者だけど、あれじゃちっとばかし大公が気の毒だぜ。父上と呼べないのはまぁ理解できるけどさ、何もあそこまで冷たくあしらう事はなかろうに」
 パピネスの突っ込みに、ルドレフは困った様子で視線をさまよわせる。
「それは……だって気に入られたらまずいから……」
 口の中でもごもごと呟かれた言葉に、ザドゥは眉を寄せた。
「本気でここに帰ってこないつもりなのか、若さん」
「何だって 」
 ハンターが顔色を変える。ルドレフは更に困惑した表情を見せた。
「別に、イシェラに死にに行くつもりはない」
「だが、城に帰ってくる気もない訳だ」
 うなだれた相手へ、ザドゥは畳み掛けるように言う。
「大公妃付きの女官に言われた事が、そんなにショックだったか?」
「私は……」
 反論しかけて、再びルドレフはうなだれる。その今にも泣き出しそうな様子に戸惑い、パピネスはザドゥへ問いかけの眼差しを向けた。逞しい体躯の護衛剣士は、容貌に似合わぬ溜め息を漏らす。
「あの大公さんは、この若様の父親だけあって妙に抜けてるところがある。よりによって御自分の正妻を訪ねる時に、こいつまで連れて行ったのさ」
「はあっ?」
 パピネスはあきれて聞き返す。大公の正妻であるセーニャ妃が、赤子を流産して心の病に陥った話は、カディラの都では有名だった。
(その奥方を訪ねるのに、愛人が産んだ子供を連れてく? ……やらねーよ、普通)
 パピネスの表情から言いたい事を察したらしく、ザドゥは微苦笑して言葉を続ける。
「当然こいつはお目通りがかなうはずもない。といって戻る事も許されず、やむなく大公が退出するまで控えの間にいたんだが……ありゃあ針のむしろだな」
 思い出しても腸が煮え繰り返るような、嫌味と皮肉を延々浴びせられ続けたのだ。余程怒鳴ってやりたかったが、自分がそれをしたらまたルドレフが非難される。お付きの者の教育がなっていない、と。どっちがだ、と言いたかったがザドゥはひたすら耐えた。当のルドレフが黙って耐えている以上、護衛が勝手な行動を取る訳にはいかない。
「中でも一番の古株らしい女官がひどかった。……アモーラとか呼ばれていたな。若さんを前にして母親の宰相ディアルの事を言いたい放題罵詈雑言。あげくの果てに、本当に大公の御子ですの? ときたもんだ。下町で野菜売りをしていたような下賎の身なら、大公の寵愛を受けながら他の男をくわえ込むぐらいやるだろう、とさ! 冗談じゃない 」
 パピネスは絶句してルドレフを見た。本当に冗談ではない。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ、である。第一反論しようにも、ルドレフ・カディラは母を知らないのだ。それで何が言えようか。
 唇を噛んだままうつむいていたルドレフは、視線を感じてのろのろと顔を上げた。自分を見つめているハンターと眼が合うと、ほんの少し笑みを浮かべる。
「……私は大公に全く似ていないから、そうした疑いを持たれるのだろう。見ての通り、顔の造りも髪や眼の色も違う」
「お袋さんに似ただけじゃないか!」
 ザドゥの叫びに、ルドレフは力なく笑って首を振った。
「私が髪を伸ばしているのは、少しでも母に似る為だ」
「え?」
「爺が……、ラガキスが昔言った。私は母に似ていない、と。眼と髪の色が辛うじて同じな程度で、他はまるで異なると。……だから髪を伸ばした。女のように長く伸ばした。髪が背中を覆うほど長くなると、ラガキスは喜んだ。ディアル様の御髪を見ているようだと言って。そして私は伸ばし続けた。……切る訳にはいかなかった。ディアルに似ていない子は、爺はいらなかったろうから……」
「若さん!」
 前髪を掻き上げ、ルドレフは乾いた笑いを漏らす。
「切ったら、きっと似ていないよ。私は母にも……大公にも似ていない。幸い懸念の種だったラガキスの家族は、大公が無事捜し出して本日の対面となった。後はイシェラの王都を何とかすれば、ユドルフ・カディラの名を騙るあの魔物を倒しさえすれば、公子としての義務は果たした事になるだろう。姿を消しても、特に支障はないはずだ」
「……それでか。大公へのああした態度は」
 憮然として、パピネスが言う。
「嫌っている相手なら、いなくなっても辛くはないだろう? 腹を立てて追い出してくれた方がありがたかったんだ。そうなるよう仕向けたんだが……」
「残念ながら、そいつは無理だったようだな」
 身を乗り出したザドゥはルドレフの顎を掴み、瞳を覗き込んで口の端を上げた。
「あの大公さんは、あんたを死なせたくないと思っている。しかし一方で、作戦を実行しなければ戦が長引く点も、この国がまずい状況に追い込まれる事も理解している。で、結局はカザレントの君主として為すべき事をすると、あんたをイシェラに送り出すと決めたようだ。肉親としての情を抑えて決断する男が、ああした態度を取られたぐらいで我が子を嫌うってのはまずない。俺が保証する。大公はあんたの言動に傷ついたかもしれんが、それだけだ。嫌う事はない。絶対に」
「……それでは私は、ただ徒に大公を傷つけてしまっただけになる」
「そういう事だ。出発前にそれなりの謝罪はしておいた方がいいぞ。何といっても親父さんだからな」
 髪を撫でて、ザドゥは囁く。ルドレフはコクリと頷いた。この男に対し、逆らう気にはなれない。ザドゥは正しい事を口にする。囁かれた言葉は、謝罪を求めるものであっても耳に心地好かった。頭部へ置かれた手に自身の手を重ねると、彼は思い出したようにパピネスへ視線を向ける。
「誤解されたくないから言っておくが、別に女官達にあれこれ言われたから出ていくと決めた訳じゃない。一応城に来るにあたって、多少の嫌味や疑いの眼は覚悟していた」
「じゃあ何故だ?」
 赤毛のハンターは、納得できない風である。
「カディラの都に着く前から、いいや、ここを目指して出発した時から決めていたんだ。ラガキスの恩に報いる事が出来たら、それで公子としての自分の務めは終わりだと。隣国の異変で少々せねばならぬ事は増えたが、考えに変わりはない。義務を果たしたら私は消える。ルドレフ・カディラは己の役目を終えるんだ」
「カザレントはどうなるんだ? 大公の血を引く後継者はルドレフさん一人じゃないか。あんたが消えたら、誰がこの国を背負う?」
 その件については、ザドゥも心に引っ掛かりを感じていた。義務を果たすと言いながら跡継ぎの立場を放り出す、ルドレフの行動は解せない。これが責任感の欠片もない奴のする事ならば納得もいくが、彼の知るルドレフ・カディラはそのような人物ではないはず、なのだ。
「私一人……?」
 ルドレフは一瞬表情を歪め、微苦笑を浮かべる。
「そうだろ、他に誰がいる? もし今大公の身に何かあったら、次の大公は誰がどう騒ぎ立てようとルドレフさんだ。その責任を、放棄するのか?」
 席を立ち、赤毛のハンターは詰め寄った。
「まさか悪名高いユドルフ・カディラの阿呆に、カザレントをくれてやるつもりじゃないだろう? 倒しに行くと言ってる以上は」
 伸ばされた腕を、それとわからぬ程の仕草でルドレフは避ける。長い黒髪が揺れ、パピネスの指をかすめていく。
「心配しなくとも、ユドルフ・カディラがカザレントの大公の座に就く事は、未来永劫ありえない。なんならイシェラの国王に尋ねるといい。息子を殺害された後、どのようにユドルフを処したのか」
「イシェラ国王?」
 パピネスは問い返す。椅子の背にもたれたルドレフは、頷いて眼を伏せた。
「私は都へ来る途中、ユドルフの姿を模倣した魔物と遭遇している。その際に、本物がどうなったのかを知らされた。死に様そのものを、無理矢理脳裏に映し出される形で」
 微かに身を震わせ、ルドレフは語る。臭いに思わずむせそうになった、妖魔の毒を含んだ息。そして強引な口づけと共に見せつけられた光景、流れ込んだ情報を。
「本物のユドルフ・カディラは、イシェラの王宮の地下で亡くなっている。生きながら鼠の群れに身を齧られ、汚水に塗れて……。イシェラを憎みカザレントを罵り、呪いの言葉を吐き散らしながらあの男は死を迎えた。放った恨みの念は、肉体という器を失って膨張し王都を覆い尽くして数多くの妖獣を集め、遂には妖魔までも呼び寄せた。……結果が現在の状況だ」
「…………」
 あまりの事に二人は声もなく、顔を見合わせた。ザドゥは腰を浮かせ、席を離れて背中を向けた華奢な体格の雇い主に問いかける。
「ユドルフ・カディラがカザレントの君主となる事はない、それはわかった。だが実際大公が亡くなった場合、あんた以外にその地位を継ぐ者は一人もいない、という現状に変わりはないと思えるんだがな。その点はどうする気だ? 若さん」
 個人的には、ルドレフがこの城を去り公子の座を捨て、自由の身となる事に賛成しているザドゥである。本当に大公の子かと陰口をたたかれ、教養の無さを笑われたり母親の事を面と向かって罵倒されたりする、そんな環境が人の精神に良い訳はない。
 しかし、一方でザドゥはこの国の民だった。国家の安泰を、将来に渡っての平和と繁栄を願っていた。それを考えると、安易にルドレフの取ろうとしている行動へ手を貸す訳にはいかないのである。
「死人は大公になんかなれないよ。ザドゥ」
 苦笑混じりにルドレフは答える。ザドゥの眉が苛立たしげに寄った。
「あのな、そーゆー冗談はやめとけって前にも……」
「大公は、私の母を必要としていたかもしれない。けれど、私を欲してはいなかったはずだ」
 ザドゥの文句を遮って、ルドレフは呟く。
「そうでなければ、説明がつかない」
「何の説明だ?」
 首を傾げ、ハンターが問う。ルドレフの顔に、物騒な笑みが浮かんだ。
「私とラガキスを捜すのに、どうして大公は何年もかかったのかな?」
 口元に笑みを張りつかせ、彼は言う。
「本気で取り組めば、こんなにも短期間にラガキスの家族を捜し出し、都に呼び寄せる事が可能なのに」
 それは確かに言えてるな、とザドゥが相槌を打つ。ラガキスの家族は周囲の目を避けて隠れ暮らしていた訳ではないのだから、ルドレフの時とは条件が異なるが、それにしても素早い。
「ならば、大公の使者が訪ねて来るより遥かに早く、それこそ三ヶ月以上も前に刺客の方が私を発見し、大挙して殺しに来たという事実は何を意味するのだろうね? たまたま遅れたのだ、と思うかい?」
 ニッコリとして問いかけるルドレフに、返す言葉を二人は持ち得なかった……。


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