カディラの風〜中編〜《2》



◆ ◆ ◆


「静かに。こちらですよ、ハンター」
 唇に指をあて声を抑えつつ、クオレルは壁向こうの通路の道案内を務める。蝋燭の明かりを頼りに、狭い通路を足早に二つの影が進む。
「……助かったけど、いいのか? 俺なんかに城の秘密の抜け道を見せちまって」
 背後にぴたりとついたパピネスが、小声で囁きかける。
「お気になさらず。大公の承認済みですよ。本人がいなければ、他国のお偉方も今夜中にハンターを見せ物に、とは言えないでしょうしね」
「ま、その通りだな」
 夜の宴前に行なわれた会食の席で、明日の余興の一つである自分の話題が出た件は耳にしていたが、一般の民衆と共にではなく今宵のうちにそのハンターの力を見たい、と外交使節のお偉方がごねだした、というのにはさすがにパピネスもあきれてしまった。何事も特別扱いが好きな方々なのでしょう、とはクオレルの見解だが、大公としてもこれには頭を抱えたのである。
 今夜のうちに用意した大型獣を死なせてしまっては、明日の午後までに同じ頭数を揃えられはしない。といって、それを理由に要求を退けては、相手の立場が立場だけに外交問題にされかねないのだ。
 ならば本人に姿を消してもらうのが一番と、舞見物で皆が出払っている間の脱出劇となったのである。
「ところで姿を隠すのはいいけど、どこへ出るつもりだ? 下手なトコに出たら見つかってしまうだろう」
 耳元で問いかけるパピネスに、大丈夫です、とクオレルは言葉を返す。
「歴代の大公しか足を踏み入れる事が許されぬ秘密の小部屋があります。そこにいれば、入ってくる者は大公を除き誰もいません。保証します。場所を知られてませんから」
「おい、それって……」
 抜け道を使うよりなおまずいんじゃないか、と言いかけたパピネスの唇に指をあて、いたずらっぽい笑みをクオレルは見せる。微笑んだ顔の意外な幼さに、パピネスは相手の推定年令を心の内で密かに修正した。落ち着いた物腰のせいで、二十代後半ぐらいだろうと思い込んでいたが、実際には二十歳をいくつも越えていないのかもしれない。
「秘密の部屋と言っても、一度も掃除をしない訳にはいきませんからね。大公の小姓として城に上がって最初に任された仕事は、その部屋の清掃でしたよ。ちなみに現在も週に一度は行なってますが」
「あらら……」
 あっさり言われた内容に、カクンと顎が下がる。そんなパピネスの様子を見て、クオレルは言葉を続けた。
「どこの城でもそんなものじゃないですか? ともあれ、おかげで私は出入り自由という訳です。鍵の保管も私の役目ですし」
「信用されてるんだな」
 感心して、パピネスは呟く。クオレルは、それを否定しようとはしなかった。
 やがて城内のかなり奥まで進んだと思われた頃、クオレルは手探りで周辺の壁の溝を確認し、一つの煉瓦を引き抜いた。と、ポカリと開いた空間に把手が覗く。
「では、行きましょうか」
 屋根裏部屋の探険に赴く子供のような眼をして、クオレルが囁く。何かしらワクワクするものを感じて、パピネスは親指を立て頷きを返した。


「わ……」
 足を踏み入れ、彼は思わず声を上げる。
 そこは、正四角形の小部屋であった。正面中央に設けられた台座の上には、等身大の彫像が据えられ、壁にはその像を取り巻く形で肖像画が掛けられている。そして床には、この城にしては珍しく、足首まで埋まる上等な絨毯が敷きつめられていた。
「中央にある像が、カディラ一族の始祖にあたられる方の物です。壁の肖像画は全て過去この国を治めた大公の物ですが、御覧になりますか?」
 楽しげに言いながら、クオレルは造り付けの棚に据えられた燭台の蝋燭へ火をともす。室内が明るくなるにつれて、彫像やそれぞれの肖像画がはっきりと見えてきた。
「八……十……十五。十五人分か、肖像画は」
 数えて、パピネスはそれらの絵をしげしげと眺める。肖像画は、一つ一つが等身よりやや小さい程度に描かれていた。そんな物が壁に十五も掛かっていれば、けっこう壮観である。もっと広い部屋ならばそうでもなかったろうが、この小部屋では迫り来るような圧迫感があった。何よりそこに描かれている歴代の大公の姿、眼差しに威圧される。
「大公の肖像画が十五枚って事は、今の大公は十六代目なのか?」
 パピネスの問いに、クオレルはやや複雑な表情となった。
「……まあ、いずれこの部屋に飾られる肖像画として言うならば、十六代目と言っても間違いではありませんね。たぶん」
「は?」
「ここに先代の大公の絵は掛かっていませんよ。姿を残して飾るに値しない、大公とも呼べない男でしたから」
 あぁそういう事か、とパピネスは納得する。この小部屋に飾られている肖像画の大公はおそらく、死しても国を護るであろう存在、一種の守護神なのだ。
「カザレントという国は、かつて王国だったのですよ。それが……、失礼、昔話に興味はおありですか? ハンター」
「んー、他にする事もないからな」
 彫像の前に腰をおろし、パピネスは先を促す。
「聞こう。ここは昔、王国だったって?」
「はい。五百年前までは、ハマートリィ王家が治める国でした」
 手にしていた燭台を床に置き、クオレルも隣に腰掛ける。
「当時は今よりも広い領土を持つ国だったそうですが、周辺諸国から苛烈王と呼ばれ恐れられていた国王ヤスパが没し、その長男が跡を継ぐと、周囲の国々は皆牙を剥いて領土の切り崩しにかかったと伝えられております。特にドルヤとゲルバの侵攻は、残された文献を見る限り相当激しかった模様ですね。その結果、戦が始まって二年後には王都も落ち城も焼かれ、王家の血を引く者はことごとく処刑されてしまったのですが……」
 クオレルは語る。最後の一人、王の末の息子に当たるバルザが逃亡先で捕らわれ、処刑場に引き出された日。彼の首に斧が振り下ろされようとしたまさにその時、彼の人は現れたのだと。
「伝承によれば、その御方は眩い光の球体から、やがて人の姿に変化したそうです。そして己が出現した場の状況を見ると、迷わず周囲の兵士を倒し、処刑台に縛られていた王子を抱えて空に消えた、と……。どこまでが真実かは判断しかねますが、その人物が王子を助け壊滅状態にあった軍を立て直し敵を打ち払い、ハマートリィ王家最後の一人であるバルザを無事王座につかせたのは確かです。その功績に対する報酬というか、感謝の証として王となったバルザはレアール・カディラと名乗った恩人に公爵の身分を与え、側近として傍らに置いたと……ハンター? どうかしましたか」
 突然顔色を変え、驚愕の表情で自分を見つめたパピネスに、クオレルは不思議そうな眼を向ける。
「いや……、何でもない」
 ぎこちなく笑って、パピネスは背後の彫像へと視線を移す。カディラの始祖という彫像の主は長い髪を背中へと垂らした上品な雰囲気の、ほっそりとした体格の青年である。顔立ちは、これで男かと疑いたくなる程に美しい。手には細い剣を持ち、優美な姿勢で立っていた。
「ところがこのレアール・カディラ公爵には、様々な伝説がありまして。処刑場に突然現れ、しかも光の球体から人の姿に変化した、というだけでも充分眉唾物なんですが、他にも風を起こしたとか、大地を裂いて多くの敵を地中に沈めたとか、炎を操る事が出来たとか、もう枚挙にいとまがない程です。そうした中で確実なのは、年を取らなかった事、らしいですね」
「年を取らない?」
「ええ、出現した当時公爵は二十代半ばの青年に見えたそうです。ところが、バルザが王位に就いた時には既に十数年が過ぎていたにも関わらず、外見はまるで変わっていなかった、と。更にその後、人々が仰天した事には……」
 クオレルはここで苦笑する。
「子を、出産されたそうです。公爵は」
「は?」
 パピネスは思わず聞き返した。
「皆さぞや驚いたでしょうね。それまで美青年と信じて疑わなかった相手が、実は男装の美女だったのですから。しかも名前は間違いなく男のものですし」
「それ……、子の父親ってまさか……」
 尋ねるパピネスの顔は引きつっている。クオレルは笑いをこらえて答えを返した。
「もちろんカザレント国王バルザその人でしょう。他の男がお気に入りの公爵に言い寄る事など、許すはずもありませんし」
 実際、大公家に残されている文献によれば、王は公爵へ正式に結婚を申し入れたそうである。しかし、公爵は首を縦に振らなかった。自分は同じ時を歩む事が出来ない身であるから、と言葉を返して。
「やがてカザレント最後の王は、再び侵攻してきたゲルバとの戦いで生命を落とし、ここにハマートリィ王家の正式な血筋は絶えた訳です。この時も実は奇妙な事が起きました。王が倒れた地から遠く離れた戦場で戦っていたはずの公爵が、突然空中より現れ、亡骸を眼にして呟かれたそうです。生きてさえいてくれれば、私なら助けられたのに、と。そして巨大な竜巻を起こし、敵兵を一人残らず吹き飛ばしたとされています。まぁ、事実はどうあれその後はどの国も、王を失ったカザレントに攻め入ろうとしなかった事を考えますと、余程恐ろしい目にあったのでしょうね」
「……そいつは……」
 パピネスはボソリと口を挟む。抜けない棘を取り除こうと躍起になっている時のようなもどかしさを抱きながら。
「そのレアールって公爵は……人間だったのか?」
 さあ、とクオレルは微笑む。
「人ならぬ力と体質を持っていたのは確かだと思います。バルザそっくりに成長した息子が王の臣下だった者達から王位に就くよう求められ、結局初代の大公としてカザレントの君主となった時も、やはり年を取らぬままの公爵は息子より若く見えたそうですから。ですが、それは哀しい事かもしれませんね。愛する者が、我が子が年老いて先に逝くのを、若い姿で見送るというのは」
「……って、ちょっと待てよ。つまり、その公爵は息子が亡くなった時もまだ二十代にしか見えなかったって言うのか!?」
「残されている文献を信用するならば、その通りです。公爵は次に大公の座へ就いた孫が成人するまでは、摂政として国政に携わったそうですが、二代目の大公が一人前に公務をこなせるようになり、施政者としての自覚も芽生えだしたのを見ると、摂政の座を退き姿を消したという事です。以後彼女の行方は、杳として知れません」
「………」
「長い銀の髪の、それは美しい方だったと記されておりますよ。涙を見せたのは、バルザの死の時だけだとか。強く、凜とした女性だったのでしょう。たとえ人間でなかったとしても、憧れますね、私は」
 彫像を見つめ、クオレルは断言する。
「……バルザって王は」
 独り言のように、パピネスは呟いた。
「レアールを、公爵を愛していたのかな」
「それはもちろんでしょう。でなければ、生涯独身を通された理由がわかりません」
 即座にクオレルは答える。王という者は特別なのだ。強い権力を持つ代わりに、それ相応の義務も負う。政略結婚もその一つだし、跡継ぎを得る事にしてもそうだ。愛していない、顔すら知らぬ相手とも国の為に結婚せねばならないし、王家の血を絶やさぬ為に子も作らねばならない。これらは既に王たる者の責務であった。これを放棄するなど、通常では認められない。
 ましてバルザには、自分がハマートリィ王家最後の一人、の自覚はあったはずである。にも関わらず、彼は妻を娶ろうとも側室を持とうともしなかったのだ。
「何で愛せたんだ?」
「何で……とは?」
 ハンターの問いに、クオレルはとまどう。こんな質問は予期していなかった。
「年もとらない、人ならぬ力を使う化け物だろう? そんな存在を何故、己の妻にと望むんだ!?」
「それは……」
「初めに会った時、バルザは子供で相手は二十代半ばの青年に見えたんだろうが。それでどうして愛せたんだ? 変じゃないか。絶対におかしい」
「ハンター」
 クオレルは暫し思考した後、苦笑する。
「恋に理屈はつけられません。二人が出会った時、バルザは十にも満たぬ子供であったと我が国の史記には記されております。その頃の彼には、助けてくれた救い主は自分よりもずっと年上の、頼り甲斐がある大人に見えた事でしょう。けれども十年余りが過ぎて、ふと隣を見た時彼の眼に映ったのは、自分を守り続けた女神の現身、愛しい女性の姿だったのですよ」
「…………」
 パピネスは唇を噛む。レアール、という名前が悪かった。最後の王バルザに、自身の影が重なってしまう。生命の危機から救ってくれた大人。自分を守り、後には共に戦ってくれた者。
 成長するにつれて、年をとらぬまま側にいる相手の印象は変化していく。頼り甲斐のある保護者から、己が守ってやらねばと思える存在に。
 ただ、バルザの場合レアールは異性だった。しかし、その能力は話を聞く限り強大である。
 自分の場合、レアールは同性だった。けれども能力に関してはないに等しく、僅かに有する力さえ、滅多に使おうとはしなかった。あくまで剣士として行動し、人間のように振る舞ってこの世界に溶け込もうと努力していたのだ。
 バルザは、レアールを生涯のパートナーに選び、これを拒まれても他の相手を求めはしなかった。王族の結婚の義務を放棄し、王家の血を絶やす事になってもいいと、全てを捨ててただ一人を求めた。
 されど自分は……。
「……っ!」
 パピネスは舌打ちし、やりきれなさに髪を掻きむしる。日を重ねる毎に、レアールの印象は淡くなっていく。妖魔と呼ばれた時の絶望した表情と、己の声に反応を示そうともしなかった人形めいた様子、最後に見せた寂しげな微笑だけが脳裏に浮かんで、他の表情が浮かばない。
 もっと明るく笑ったり、おどけた顔を見せたりしたはずなのだ。自分をからかって遊んだり、怪我の具合を心配したりと、様々な事柄があったはずなのに、それらが全く思い出せない。
 柔らかな髪の手触りと、あの日口づけた唇の感触だけが鮮やかで。
「まぁ、正直な話公爵に関しては、化け物呼ばわりされた事がないとは申しません。カザレント内においても、老いる事なく生き続ける公爵を気味悪がった者は多かったと記されておりますし、他国においてはもう言われ放題です。カザレントの魔物とか、カディラの魔女とか。してみると、現大公は魔物の血を引く子孫となりますかね。確かにいつまでも年に似合わず若々しくあられる方ですが」
 面白そうにクオレルは言う。その横顔は、不思議にカディラ一族の始祖である公爵の彫像とそっくりだった。
「クオレルさんも……」
「え?」
「クオレルさんも子孫の一人、じゃないのかい」

 クオレルは真顔になる。
「たぶん、姓はカディラなんだろう?」
 パピネスは己の勘を信じて囁く。クオレルの唇から、吐息が漏れた。
「……一応はそうですよ。もっとも、カディラ一族の中では末端に属する身ですが。一般庶民よりちょっとはましな暮らしが出来る程度の、貧乏貴族の出ですからね。私は」
「そうは見えないけどな」
 首を傾げるパピネスに、クオレルはすかさず言葉を返す。
「城での生活が長い為でしょう。大公の側仕えともなれば、ある程度言葉使いや身のこなしについても教育を受けますし。郷里の家では兄のお下がりの服を着て、妹達のおねしょの始末からおやつのパイ作りまでやっておりましたよ」
 そう言って、クオレルは喉の奥で笑う。細い銀の髪がかかる顔は、やはり始祖に良く似ていた。


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