カディラの風〜中編〜《1》




全てを失うとしても かまわない
この腕だけは はなさない



◆ ◆ ◆


 管弦の調べが、城内を満たしていた。大公の就任三十周年を記念する式典の、格式張った行事が終了した後の城は、貴族・庶民が入り乱れての宴の場と化している。城の中庭では篝火が焚かれ、臨時に造られた舞台の上で踊り手達が舞を披露していた。
 舞台の正面に面したバルコニーに設けられた席中央に座る大公は、時折人々の歓声に応えて手を軽く揺らす。にこやかな笑みを浮かべながらも、心中は正直穏やかではない。
 今日になっても、 ルドレフとその一行は姿を見せなかった。 しかし、原因を作ったイシェラ国王ヘイゲルの手前、また事情を知る一部の臣下を前にして、不安な表情を見せる訳にはいかないのである。おかげでロドレフはここ二日余り、作り笑いを顔に張りつかせていた。
(いいかげん、顔の筋肉がどうにかなりそうだな)
 おとなしやかな舞を見せている娘達に視線を向けながら、ぼんやりとそんな事を思う。朝からの休む間もない式典行事とその後の宴に、身体も神経も疲れ果てていた。どれだけの客と言葉を交わし、どれ程の臣下に声をかけたのか、もう彼は覚えていない。今はただ早く寝所に戻って眠りたかった。
(そういえば、セーニャの所にも一昨日から行ってなかったな……。ん?)
 シャラン、と鳴った鈴の音に、ふと意識を呼び戻される。いつの間に舞が終わったのか先程の娘達の姿はなく、舞台にはただ一人、白い布を幾重にも纏った女が立っていた。裸足の足首に、そして手首に鈴のついた細い輪を二つずつはめている。それが、動く度に鳴り響くのだ。管弦の音色に負けぬ、はっきりとした音で。
「これはまた、変わった舞ですな」
 式典に参列したアストーナの大臣が、感心したように呟きを漏らす。それは、異界を思わせる舞だった。女が身を踊らせる都度、白い布がその身体から離れていく。そして布自体が、別個の生き物のように動くのだ。否、女が操っているのである。それと気づかれぬ形で。
 シャラシャラと鈴が鳴る。シュルシュルと布が解けていく。月光の下で踊られる、奇妙に現実離れした舞。
 やがて、最後の布地がその身体を離れた時、どよめきが周囲から上がった。
 体にピタリと合った白い服―そこに、女の曲線を描いた肉体は存在しなかったのである。
 女、ではなかった。女と思われていたその舞手は。細い身体と長い髪の為、女のように見えていただけで。
 月光を浴びて、篝火に囲まれた舞台の上、踊り手は一転して激しい動きを見せる。腰までかかる黒い髪が乱れ、肌に絡みつく。叩きつけるような鈴の音が、辺りに鳴り響く。
 舞が終盤に差しかかると、踊りながら彼は手首や足首の鈴の輪をはずし始めた。はずされた細い輪は観客の中に投げ込まれ、鈴の音が鳴る度にそこかしこで歓声が上がる。
 八つの輪を全て投げ終えると、ほっそりしたシルエットの踊り手は中央に立ち止まり、左の腕を高々と上げ、正面の大公に視線を向けた。
 ゆっくりと、天を指した左手の中指から、一個の指輪が抜き取られる。それは光の弧を描き、大公の座る席へと飛ばされた。
 ロドレフの膝の上に落ちたその指輪は、カディラ一族の紋章を象った品であった。
「……!」
 指輪を握りしめ、ロドレフは立ち上がる。まさか、という思いがあった。台上に立つのは、成人した男として見るにはあまりに華奢な体格の若者である。しかし、己がはめていた指輪は間違えようもない。手の内にあるそれは、自分が使者に託した物だった。
(ルドレフか?)
 来たのだ、遂に。刺客の手をくぐり抜け、この城まで。
 口元をほころばせ、大公は若者を見つめる。初めて会う、自分の息子を。月光と篝火の明かりだけでは、顔立ちもはっきりしなかったが。
「ルドレフ」
 手を、大公は差し伸べた。こちらへおいで、もっと近くに来て、お前の顔を見せておくれ、と。
 だが、踊り手の青年は視線をはずし、一礼すると舞台から飛び降りた。一言も発する事なく。
「ルドレフ!!」
 身を乗り出して、大公は叫ぶ。明らかな拒絶を示した背中に向けて。
「ルドレフ……」
 手の内にある、指輪の固い感触。わずかに残るぬくもり。
(返した、という事なのか?)
 拳をきつく握りしめ、ロドレフは思う。
(カディラの血も公子の座もいらないと、そう言いたいのか?)
 細い体は喧噪の輪に埋もれ、既に視界から消え去っている。見つける事は、出来なかった。


「若さん!」
 聞き慣れた声に呼ばれ、ルドレフはハッと足を止める。人混みの中から飛び出した褐色の逞しい腕が、彼を捕らえた。
「捕まえたぞ、この馬鹿が!」
 怒りを含んだ声音と、締めつける力の強さに、まずったなあという表情を浮かべ、おそるおそるルドレフは問う。
「ザドゥ……、やっぱり怒っているか?」
「当たり前だっ!!」
 耳元で怒鳴られ、ルドレフはひゃっと身を竦ませた。勝手に行方を、それも刺客に襲われた後にくらましたのだから、相当心配させたであろう事はわかっている。申し訳ないとも思っていた。故におとなしく捕われたまま、謝罪の言葉を口にする。腕を振りほどこうともせずに。
「すまなかった。……ラガキスは? 近くにいるのか」
「いいや、まだサッカロの宿に残ってあんたを捜しているさ。俺は念の為、城の周辺を見張っていたんだ。もしかしたらあんたは無事で、まっすぐ城に向かったかもしれんと考えてな。正解だったようだが」
「そうか」
 明らかにホッとした声音が漏れる。
「心配をかけてしまったろうな。申し訳ない」
「悪いと自覚してんなら、さっさと謝りに来い。爺さんは夜も眠れず白髪をどっと増やしたぞ。あんたが刺客に連れ去られたと思い込んでな」
 言って、ザドゥはルドレフを肩に担ぎ上げ、大股に歩きだす。
「わっ! おい、ザドゥ!!」
 さすがにルドレフも、このザドゥの行動には焦り、悲鳴に近い声を上げた。
「ジタバタするんじゃない。騒ぐなら今履いている短ズボン、この場でひっぺがすぞ。脱がされたいか?」
 すかさず告げられた脅しに、絶句する。
「勝手にいなくなって周りをハラハラさせる馬鹿は、こうして運ばせてもらう。下手におろして逃げられちゃたまらんからな。文句は言わせんぞ、若さん」
「………」
 耳まで赤く染めたまま、ルドレフはザドゥの肩に揺られる。幸いにして、大公就任三十周年の祝い酒を振る舞われた人々は、夜という事もあり殆どがこの珍妙な二人連れに気づかず、好奇の視線を向けようとはしなかった。
「ザドゥ」
 安宿のきしむ階段を上る途中、ようやくルドレフは口を開く。
「ん?」
「……このまま私をサッカロまで、爺の元まで連れていく気か」
「当然だろう。もっともその前に体を拭いて、着替えてもらうがな。汗ぐっしょりだぞ、お前さん」
 答えてザドゥはルドレフを床におろす。軽い体をしてるな、と彼は思った。城からここまで、かなりの距離を担いだまま歩いたというのに、肩には痛みもない。
 悄然とした様子で立っていたルドレフは、ザドゥが湯を貰いに行こうとしたところで顔を上げ、叫ぶ。
「ザドゥ!」
 悲痛な声に、思わずザドゥは振り返る。思い詰めた表情のルドレフが、真剣な眼差しを向けていた。
「ザドゥ、お願いだ。あと一日だけ待ってくれ、頼む」
 頭を下げ、ルドレフは言う。
「私の我が侭であることはわかっている。 爺にはすまないとも思う。 明日が終わったらちゃんと城に行く。約束する。だから……」
 訴えるような切ない響きの声で、彼は懇願する。
「明日一日だけは、ただのルドレフでいさせてくれ。大公の子ではなく」
「おい……?」
 廊下に人影はない。更に各部屋から漏れ聞こえる話し声に耳を澄まし、大丈夫と確信した時点でザドゥはドアを閉めた。
「どうやらとことん話し合う必要がありそうだな。若さん、あんた……もしかしなくても公子の地位なぞ望んじゃいないのか」
「いや……。ラガキスの苦労に報いる為にも、正式に承認してもらわねばならない」
「爺さんの話をしているんじゃない。あんた自身はどう考えているんだ?」
「私は……ラガキスの望みを叶えてやらねばと思っている」
「おい、若さん」
 苛立ちに、ザドゥの眉が吊り上がる。
「いいか? 誰でもないあんたの問題なんだぞ。ああ、そりゃ確かにあの爺さんはあんたが大公に息子として認められ、公子としての地位を得て城で暮らす日を夢見てるさ。少し付き合っただけの俺でも、それはわかる。そして爺さんは、あんたも自分と同じ考えだと思い込んでいる。だが、俺が見る限りあんたは気乗りしていない。だから妙だと感じる訳だ」
 一呼吸おいて待ったが、ルドレフからの答えはない。
「聞きたいもんだな。いったい何だってお前さんは、何の意志も示さずにここまで来たんだ? 爺さんだって馬鹿じゃない。あんたが嫌がる事を無理強いはしないはずだぞ」
 そう断言するザドゥに、ルドレフはほろ苦い笑みを向けた。
「私は、生まれた翌日に殺される運命の子供だった。それをラガキスが救った」
「だから、爺さんの話じゃなくてだな……」
「ラガキスが大公の意に背いてくれなければ、追われる身になってまで助けようとしてくれなかったならば、私は生きてここにいない」
「若さん」
「生きていないはずの生命だよ、ザドゥ。ここにいるのは、ラガキスの望みを叶える為だけに存在する亡霊だ。ラガキスは、私を殺させぬ為に全てを投げ出した。地位も、家族も故郷も全て。だが私は、それに対して何一つ返してやれない。私は無力で、この身以外何もないんだ。そんな折だ、大公からの使者が来たのは」
 ルドレフは眼を閉じ、思い出しながら呟く。
「大公が私を引き取ると……、公子の地位を与えると聞いて、爺は喜んでいた。あんな嬉しそうな顔を見たのは、初めてだった。そして私は、自分がラガキスの為に何をすべきか知ったのだよ。私にはこの身一つしかないのだから、出来るのはそれしかない。大公の元へ赴いて、公子として認知してもらう。それが、自分に出来る唯一の恩返しだと……。そういう事だ、ザドゥ」
 泣いてるような笑顔だった。ザドゥは歯を噛みしめ、拳を震わせる。猛烈に腹が立ってならなかった。ここまでルドレフを追い詰めたラガキスにも、気づかぬまま側にいた自分にも。そして何より、己の意思を封じて語ろうとしなかった当人に。
「ザドゥ?」
 いきなり両の肩を掴まれ、ルドレフは首を傾げる。ザドゥの真剣な表情が、近くに迫った。
「若さん、一つ聞く。あんたは自分を幸福だと思った事があるか?」
「え?」
「俺に言わせりゃ、あんたは不幸だ」
「ザドゥ、何言って……」
「いいから黙って聞け。確かに世間じゃ、そうは見ないだろう。日陰の身から解放され、大公の息子として、公子として認められる事を幸運だと人々は言うだろう。けどな、そんなもんは本人が望んでいなけりゃ幸運でも何でもない。父親が自分の身勝手で追いだした息子を、家に入れてやると戸を開けた。それのどこが幸運なんだ? 親が子供を手元で育てるのは、当たり前の事なんだ。その当たり前の事をしてはもらえず、大人になってから引き取ると言われたって、普通は感謝なんざ出来んぞ。ふざけるな、今更何を言うと叩き出して終わりにして良い事を、あんたはされているんだ。わかっているのか?!」
「……」
「あんたはさっきから言ってるよな。ラガキスに報いてやらねば、と。だがな、世の中育ててくれる親に感謝して、報いてやらねばと常に考えている子供、なんてのはいやしないんだ。何故だかわかるか? 親が子を育てるのは、面倒を見るのは当然の事だからだ。愛してくれる者が側にいるのも、自分を守ってくれるのも、帰る場所があるのも全て、子供にとっては当然なんだ」
「……ザドゥ」
「だから子は、親にいちいち感謝はしない。その代わり、いつか自分が大人に、人の親になった時に、己が受けてきたものを全部我が子へと注ぐんだ。それが自分を慈しんでくれた者達への、最大の報いる行為となる。けれどあんたはどうだ?」
「ザドゥ、私は……」
「あんたは親から捨てられた子供だ。居場所を奪われた子供だ。自分が自分であるというだけでは、愛してもらえない存在だ。その上、己を不幸だと自覚する事すら許されない。子供の時間を与えられないまま、身体だけが成長してしまった片輪者なんだよ!」
「ザドゥっ!!」
 悲鳴に近い声がザドゥの台詞を遮る。ルドレフはかぶりを振った。小さな子供がいやいやをするように。聞きたくない、やめてくれと全身で訴えかける。
「自覚しろ、若さん。あんたは不幸なんだ」
「や……」
 黒い髪が、力なく揺れる。震えが、肩から伝わった。
「わかるな? あんたは不幸だった」
 囁きに、小さく頷きが返る。ザドゥの手が、頭部にかかった。手の平が、柔らかな髪を撫で回す。
「そうだ、そうやって自覚するといい。あんたは不幸だった。だから―いいか、ここからが肝心だぞ、若さん。絶対に幸福になれ」
 弾かれたように、顔が上がる。前髪の隙間から覗く瞳は、涙で濡れていた。
「幸福になるんだ。その為にはどう行動すべきか、自分はどうしたいのか、それをじっくり考えろ」
「……ザドゥ」
「自分を大切に出来ない奴は、他人をも大切に出来ないぞ。 まず自分を大切に思う事だ。 これまで可哀想だった自分を、思いきり愛してやれ。 己でも好きになれないような自分では、他人から好きになってもらうのもむずかしい。 ま、もっとも俺はあんたを気に入っているがな。だから言わせてもらう。自分を大切にしな、若さん。そして幸福を手に入れるんだ。さて、そんなところで尋ねるが、あんたは明日、どうしたい?」
「明日……」
 ルドレフは、ゆっくりとその単語を繰り返す。
「……明日は……」
 ザドゥは待つ。自分はどうしたいか、何をしたいのか、一度として聞かれる事のなかった相手が初めて考え、答えを探している姿を前にして。
「……カディラの都を、祭りを見たい。大公の息子ではなく、ただのルドレフで楽しんでみたい。……明日だけは」
「明日だけ、か?」
 ザドゥが問う。
「明日だけ、だ」
「よし」
 ザドゥは微笑む。これはルドレフの意思なのだ。先刻と同じ望みではあるが、先刻とは違い自分を自覚したルドレフの要求。
「わかった。それじゃ今夜は、あんたをラガキスの爺さんのトコへ引っ張っていくのはやめておこう。ただし、一応報告には行くぞ。あんたが無事な事と、一日自由な行動を望んでいる事は伝えておく。あの御老体に寝不足はきついだろうからな。頭が禿げ上がらんよう、心配事は取り除くに限る」
 明るい物言いにつられ、ルドレフは微笑む。普段なら都の門は、夕刻には閉じられているはずで、一般人の自由な出入りなど不可能な時間帯だが、祭りが行なわれている間だけは別だった。カディラ内の宿に泊まれなかった人間が門の外で野宿したり近隣の村や町に宿泊先を求める為である。
 宿の者から湯を貰ってきたザドゥは、ルドレフに布を放り汗を拭い落とすよう言うと外出の支度を始めた。
「ついでにちょいとばかし金と、ああ、それから展望台に落ちていたあんたの剣も持ってくるとしよう。ラガキスの爺さん、ちゃんと拾って手入れしていたからな。あの剣は」
「助かる。日頃腰に下げている物がないと、どうにも落ち着かなかったんだ。ところで、着替えも一式持ってきてもらえるだろうか。この格好で昼間外を歩くのは控えたいし、ザドゥの服を借りるのでは少々体格差に問題が……」
 たらいの湯を使うべく服を脱ぎかけたルドレフは、思い出したように己の姿を見やり付け加える。先程舞台で踊った時のままの衣装では、夜はともかく昼は歩けない。腕も足も胸もほぼ露出状態にあり、おまけに裸足であった。
「なるほど。着替えと、それに靴も必要だな。他に何かそろえてほしい物はあるか?」
 出発準備を整えたザドゥは、ドアに手をかけたところで振り返る。床に膝を付き湯に浸した布で体を拭いていたルドレフは、ひょこんと立ち上がり告げた。
「ザドゥを」
「?!」
「ザドゥに、側にいてほしい」
 呆然とした男の逞しい腕を、細い指が掴む。褐色の肌の上に、白い手が重なる。
「明日、一人では嫌だ。私はザドゥと一緒にいたい。……もちろん、その、何か予定があるとか、先約があるならそちらを優先すべきとは思うが。明日が駄目でも、その先いつか―いや、違う」
 舌打ちし、ルドレフは前髪を掻き上げる。
「つまり……ああ、護衛はいらないなんて言うんじゃなかったな。今更言っても無駄かもしれないが、つまりその……私はザドゥにこの先も一緒にいてほしいと、出来れば城まで共に来てほしいと願っているんだが、こんな望みは却下だろうか?」
 黒い眼を大きく見開き、背伸びして顔を覗き込む相手に、ザドゥはまいった、と天井を見上げる。いったい誰が否、と言えるだろう。こんな風に迫られて。
「あのな、若さん」
「強制はしない。そんな権利を私は持っていないし、ザドゥが嫌なら諦めるつもりだ」
「ほーお」
 諦める、の一言にカチンときてザドゥは皮肉を返す。
「嫌と言われたら、簡単に諦められる程度の存在か。俺は」
「えっ?」
 不機嫌な声音に、ルドレフはうろたえる。どうやらまずい事を言ったらしい、と気づいた彼は、慌てて言葉を継ぎ足した。
「いや、諦めるというのはその、諦めたくはないんだが命令して側にいてもらうなんてのは最低だと思うし、だから……。私は、ザドゥの意思を尊重したい。自分の意思は口にした通りだ。けれど、これを強制する気はない。決めるのはザドゥだ。ザドゥの自由だ」
「ふむ」
 ザドゥはちょっと意地の悪い笑みを浮かべ、ルドレフの頬をつまむ。
「俺が必要か」
「……側にいてほしい」
「頭を下げて頼んででも、いてほしいと思うか?」
 ルドレフはまじまじとザドゥを見つめる。
「そうすれば、いてくれるのか?」
「考えてやってもいい。床に手をついて是非に、と言うならな」
「承知した。ならば頼む、ザドゥ。私の側に……」
「待った、そこまで!」
 素直に膝をつき、床に手をおろしかけたルドレフを掴まえて、ザドゥは苦笑する。
「俺相手にそんな真似なんざしてもらっちゃ困るぜ、若さん。正直な話、俺の方こそ頼んででも側にいたいと思っていたんだからな」
 ひょいと抱き上げ、正面から相手を見据えると、褐色の剣士は誓いを立てた。
「剣にかけて誓おう。お前さんの性格が今のまま歪まずにある限り、隻眼のザドゥは共にある。たがえる事はない」
 ルドレフの眼が、微かに光を帯びる。
「条件付き、ってところがみそだな。ザドゥ」
「おおさ。もしもあんたがこの先ユドルフみたいなろくでなしに変わったら、立場がどうだろうと叩っ斬る。それが俺だ。かまわんな?」
「もちろんだとも」
 物騒な宣言をされた当人は、にっこりと微笑んだ。
「私はザドゥのそういうところが気に入っている。とても……ああ、こういう場合はどんな言葉で表現すれば良いのかな。教えてくれるか?」
 真顔で尋ねられ、ザドゥは困り果てる。教えろと言われても、その言葉を告げられる本人が口にするのは、少々気恥ずかしいものがあった。
「若さん、ちょっと待った。ラガキスの爺さんは、そういう時に言う類の言葉を教えてくれなかったのか?」
「たぶん教わってはいない。教えられたなら、記憶しているはずだ」
 ザドゥは盛大な溜め息をつき、なんてこったい、と肩を竦める。ドアになついて、爪研ぎでもしたい心境であった。
(恨むぞ、爺さん。もう少しこいつに情緒教育というものをだなーっ!!)
「ザドゥ?」
 きょとんとした瞳が、顔を覗き込んでくる。再度溜め息をついて、ザドゥは相手の肩を叩く。
「いずれ教えてやる。取り合えず今日はパスだ。とにかく、俺はラガキスの爺さんに報告しに行くから、あんたはおとなしくここで待っていろ。絶対に外をウロチョロするんじゃないぞ」
「わかった。待っている」
 笑顔で答え、着替えの代わりにシーツにくるまったルドレフは頷いた。まるで小さな子供が父親に「いってらっしゃい」をするように。やれやれ、と苦笑を浮かべザドゥはドアを閉める。
 とはいえ、別に迷惑と思っている訳ではない。どこかこそばゆい気はするものの、ルドレフ・カディラからまっすぐに向けられた好意を、嬉しく感じているのは事実である。
 頼ってくる仕草が、表情が可愛かった。自分より腕の立つ男、と知ってはいたが、守ってあげたいと思えた。
「……まいったな、全く」
 己の人生が大きく変わろうとしている予感を胸に、隻眼のザドゥは一路サッカロへと馬を走らせた。




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