カディラの風〜前編〜《7》


 カディラの都に程近いサッカロの宿屋街は、式典後の祭り目当てに集まった人々でこのところ毎晩賑わいを見せていた。式典終了後、城内で踊りや芸を披露する為に訪れた芸人の一座や、その翌日から行なわれる闘技場での剣術の試合に参加予定の逞しい剣士達、またそれを見物する目的でやってきた客やらで、連日ごった返している。
 こみあった宿の食堂では、臨時に置かれたテーブルすらも深夜というのに客で埋まっていた。収まり切らぬ客を逃がさぬ為に、屋外に張り出した台の方まで丸太の簡易テーブルと椅子が並べられ、注文の声が飛びかう中、店の者が忙しく酒や料理を運ぶ。
 星空の下、座り心地の良くない丸太の椅子に腰をおろし、荒くれ男達の喧騒の輪から少し離れて、隻眼のザドゥは一人静かに酒を飲んでいた。常になく気を滅入らせて。
「……明日の昼までには到着する、か」
 溜め息が漏れた。明日の昼、ルドルフ・カディラが大公の居城に無事入れば、それで自分はお払い箱である。契約は都に着くまで、であった。報酬は前金で、全額支払われている。
 ユドルフ・カディラが、目指す仇が城内にいるならば、彼等と別れた後に何としても潜り込むつもりでいたが、現実にはユドルフは城に、いや都にさえいないと知った。
 ザドゥの渡り歩いてきた地域の村や町では、ユドルフの所業が大公に漏れて領主の地位を剥脱され、都に連れ戻された事だけが噂となっていて、その後を知る者は誰もいなかった。
 国外追放処分を受けて、イシェラの王宮に厄介になっている、という話を耳にしたのはカディラの都に近付いてからである。
 それ以前にザドゥは、あの妙な能力を持った人外の魔としか言い様のないユドルフと遭遇してしまっている。おまけにそいつと言葉を交わしたルドレフが言うには、あれは妖魔で本物は死んでいる、との事だった。
 それが事実なら、別に城に入る必要もない。大公の隠し子ルドレフ・カディラにも用はない。利用するつもりでいた相手の、側に留まる理由はなくなった。あっさり別れて良いはずだった。
 次の仕事を求めて旅立って良いのだ。あの村へ戻るのも、どこかよそへ行くのも自分の自由である。だのに何故……。
「ザドゥ?」
 頭上から、声が降ってきた。反射的に顔を上げ、ザドゥは己を見おろしているルドレフの姿を眼に映す。女よりも長い、豊かな黒髪。華奢な身体を襟の高い白の長衣に包んだ様は、どこから見ても育ちの良いお坊っちゃん、だった。腰に吊した実用品の剣が、不釣り合いで申し訳ない程である。
 殆ど喚いているに等しい声で歓談していた男達が、一瞬口を閉じ静まり返る。余りにも場に合わぬ人間が自分達の領域に足を踏み入れてきた、そういった表情であった。
「ここにいたのか。気がついたらベッドにいないから、どこに行ったかと思った」
 自身に注がれる視線には全く気づかぬ様子で、安心したようにルドレフが言うと、ドッと周囲に笑いが起こった。
「駄目だぜ、そこの兄さんよぉ。せっかく買った相手をほっぽりだして一人飲みに来るなんざ」
「そーだそーだ、んな勿体ない事すんならこっちに譲りな。都でも滅多にいない上玉じゃねぇか。朝までたっぷり可愛がってやっからさぁ」
 皆酔ってるだけに、下卑た欲望丸出しの言葉を投げかける。どうやらルドレフが腰に下げている剣は、彼等の眼に入っていないらしかった。否、入っていても問題にしないのだろう。
(まあ、この外見じゃ無理もない、か)
 酔っ払った獣の群れの中に、のこのこ入ってくるもんじゃないぜ、兎さん。ここには飢えた雄しかいないんだからな。そう心の内で呟くと、ザドゥは席を立つ。卑猥な野次を浴びせられている当の本人は、意味が通じていないのか、きょとんと首を傾げていた。
 実際、冗談抜きで美味しい兎に見える。ただしザドゥは知っていた。この兎が敵を引き裂く爪も、噛み砕く為の牙も持ち合わせている事を。数人がかりで襲おうと、人の身では何も出来まい。その肌を見る事さえ、出来はしないだろう。
「悪かったな。今戻るから先に部屋へ行ってろや、若さん」
 肩を掴んで囁くと、ルドレフは困った顔を見せた。
「ザドゥ、部屋じゃラガキスが休んでる」
「あん?」
「少し、話をしたいんだ。……駄目か?」
「いや、かまわんが」
 まだ栓を抜いていなかったボトルを手にすると、勘定を済ませザドゥはルドレフを促して店を出る。口笛と、野次がその背中に集中した。
「……何を言ってるんだ? あの連中」
 どうやら本気で意味がわかっていなかったらしいルドレフが、心持ち眉を寄せ尋ねる。わからなくても、嫌な感じは受けたようだった。
「知らんでいい。……ったく」
 意味がわかっていたザドゥの方は、眉間に皺を寄せて呟く。そのまま早い歩調で宿屋街を突っ切ると、都の明かりを見る事ができる、山の展望台へと足を向けた。
「来な、若さん。あそこがカディラの都だ」
 指差す先に、無数の明かりが見える。華やかな夜景が視界に飛び込み、ルドレフは思わず身を乗り出した。
「……凄い」
 ポカンとして素直な感想を漏らすルドレフに、ザドゥは微笑する。昔、所用でカディラの都を訪れた父にくっついて来た時の自分も、同じ台詞を口にしたのだ。この場所に立った父の肩から、都の夜景を見おろして。
 まだ十歳にもなっていなかった頃の思い出。家族に囲まれた幸福な日々が、明日も続くと信じていた当時の……。
「綺麗なもんだろ」
 背後から声をかけ、細い肩に腕を回す。
「ああ……。道中で聞いた話じゃ大公は倹約家で無駄遣いに厳しいそうだが、こんな夜中まで都の住人が明かりをつけている事には何も言わないのか?」
 夜景が華やか、という事はそれだけの人間が起きて活動している事実を意味する。おそらくあの明かりの下では、飲めや歌えの騒ぎが繰り広げられているであろう。
「なに、個人の消費活動は景気の刺激剤となる。大公は確かに倹約家で贅沢を嫌うが、それは城内においての話で、民に金を使うなとは言っていない。節約しろ、ともな。何故だかわかるか? 若さん」
 ルドレフは、ちょっと考えてから答えを返した。
「大公が使うお金は、全額国庫から出されている。すなわち国民から集めた税金だ。けれども国民一人一人が使うお金は、その人自身が稼いで手にしたもので、他人からの預り金ではない。となれば、その使い道は個人の自由となる」
「御名答」


 ザドゥはルドレフの頭に手をかけ、髪をくしゃくしゃに掻き乱す。
「先代の大公は、それがまるっきりわかっちゃいなかった。集まった金が自分の物ではない、という事がな。だからお前さんの父親は、肉親殺しの血の大公と呼ばれ恐れられてはいるが、決して嫌われてはいない。少なくとも庶民からは、な。覚えておくといい」
「………」
 ルドレフは無言で夜景に眼を向けた。あの輝きの向こうに、大公の居城があるのだ。生まれたばかりの我が子を、殺そうとした男の住む城が。
(どうして、今になって引き取る気になったのだろう)
 何故もっと早くに、行方を捜してはくれなかったのか。もしも早いうちから捜してくれていたならば……。
「若さん?」
 ザドゥは回した腕から伝わる震えを訝しく思い、ルドレフの顔を覗き込む。覗き込んだ瞬間、しまったと思った。その眼に浮かんだ涙を見て。見てはならぬものを見てしまった気分で、彼は顔を上げる。
「ザドゥ、……教えてほしい。父親というのはどういうものなんだ? 私は知らない。家族など……これまでいなかった」
「あの爺さんは?」
 ラガキスの存在をザドゥは口にする。赤子の頃からずっと側にいた相手であれば、普通は家族も同然と考える。親代わり、と呼んでいいはずだった。
「ラガキスは……」
 ルドレフは苦笑する。確かにラガキスは、懸命に自分を育ててくれたのだ。彼なりの愛情をもって。しかし、家族にはなってくれなかった。彼にとってルドレフ・ルーグ・カディラは、あくまでも仕えていた主人ディアルの忘れ形見、大切な預かりものでしかなかったのである。
「正直に言おうか、ザドゥ。ラガキスは、一度もルドレフ・カディラを叱った事がないんだ」
「あぁ?」
「一度も、だ。手を上げられた事も、怒鳴られた事すらない。何をしても、何を言ってもな。親というのは……、家族というのはそういうものじゃないだろう」
 ザドゥは天を仰いで溜め息をついた。
(なんつー育て方をしたんだ、ラガキスの爺さんは!)
 密かに、心の内で毒づく。これで性格が歪まなかったのだから、ルドレフも大した人物と言えよう。とんでもない我が侭な癇癪持ちに、それこそユドルフ・カディラを上回るような馬鹿者に育ちそうなものである。
「ザドゥの御両親は、どんな方だった?」
 気を取り直した様子で、ルドレフが聞く。胸が、チクリと痛むのをザドゥは感じた。
「まあ、どこにでもいるようなありふれた親だったさ。人が良くて要領の悪い親父と、泣き虫で子供みたいな、料理と裁縫が徹底して駄目なおふくろ」
「徹底して駄目?」
 ザドゥは頷く。あれは、今思い出しても凄かった。
「たとえばだな、転んでズボンの膝の部分を子供の俺が破いたとする。そういうのを見たら、母親は繕おうとする訳だ、一応は」
「うん」
「ところがその縫われたズボンは、足を通す事が出来なくなってしまうのさ。反対側まで縫われていてな」
「それは……、大変だな」
「ほどこうにも、親の仇みたいにぎっちり縫い付けられていて全くほどけん。それで、そのズボンは永久に着用禁止だ。おかげで俺は、十歳になる頃にはある程度裁縫が出来るようになっていた。そうでないと、近所の悪ガキ共とうっかりケンカもやれん。その都度服がおしゃかではな」
「はは……」
 引きつった笑いをルドレフは浮かべる。隣に立つ筋肉隆々の男が針と糸を手に服を繕っている図を想像すると、硬直するしかなかった。
「料理がこれまた下手くそでなぁ。何度注意しても鍋を焦がして穴を開けるし、魚や肉は消し炭になるまで火を通すしで……。親父は、それでもおふくろに惚れていたから『いいんだ、別に君に料理や繕いものをしてもらう為に結婚した訳ではないからね』と言ってたが、胃の薬になる薬草をしこたま買い込んで、部屋でこっそり煎じて飲んでいたのを俺は知っている」
「……」
「それならそれで、いっそ親父に作らせるとか、料理女を雇うとかすれば良いのに、妙なところで女の意地があったらしくてな。親父が台所に立つ事は絶対に許さなかったし、お手伝いさんを雇おうか、と話を切り出せば『私が至らないから、そんな事をおっしゃるのね。貴方に無駄なお金を使わせてしまうなんて、なんて私は駄目な女なの』と泣きだす始末で、手に負えん」
 肩を竦め、ザドゥは苦笑いを見せた。
「もう一人、ちょいと年の離れた妹がいたんだが、こいつがまたこましゃくれたガキで、何かというと兄貴の俺を捉まえては、『男っていくつになっても子供なのよねー。あたしなんてもう立派に大人なのに』と言う訳だ。冗談じゃないって、全く」
 ルドレフは、とうとう堪え切れずに吹き出した。ひとしきり腹を抱えて笑った後、涙を拭いてザドゥに向き直る。
「楽しそうな家族じゃないか。一度会ってみたいな」
 無邪気な要望に、ザドゥは微かに顔を歪めた。出来れば、対面させてやりたかったと思う。自分自身も、もう一度会いたいと願っているのだ。だが、それは叶うはずもない。
「……無理だな」
「ザドゥ?」
「生きてたら可能だったが、死んでしまっているからな。俺の家族は皆」
「!」
 ザドゥは唇を噛み、ゆっくりと呟く。
「殺されたのさ。当時の領主……、ユドルフ・カディラの野郎に」
 村を突然襲った兵士、指揮していたのは年若い領主ユドルフ。炎に家を巻かれ、焼き出された人々。掠奪された金品。攫われた器量の良い娘達。
 村長を務めていた父は、飛び出して馬を止め、馬上の領主に抗議したのだ。いかに御領主とはいえ、やって良い事と悪い事がございます、と。対するユドルフの答えは、袋叩きの暴行と、妹の殺害、母への凌辱行為。そして家に火を放ち、燃え盛る炎の中へ縛り上げた父を、生きたまま放り込んだのだ。炎に包まれ、火だるまになってのたうち叫ぶ父の声を、笑って聞いていたのだ。
「俺は、その日乗馬を教えてもらう為に友達の家の牧場に行っていて……、結果一人だけ生き残ってしまったのさ。この傷を付けられただけでな」
 額から頬にかけての傷を指でなぞり、ザドゥは笑いを漏らす。今も耳に残っている、妹の、母の、父の放った悲鳴。そして自分の口をふさぎ、必死で押さえ込みながら囁いていた友人の兄の言葉。
『出ちゃいけない、出たら殺されてしまうから。我慢して、我慢するんだ。殺されちゃ駄目だ、君まで殺されてしまうんじゃない!』
 口惜しさの滲んだ、嗚咽まじりの声が耳元で繰り返される。出てはいけない、殺されては駄目だ、と。
「ザドゥ……」
 気がつけば、ルドレフが自分を見つめていた。あふれる涙を拭いもせずに。
「私は……知らなくて。すまない、……知らなかったから……!」
 ザドゥは無言で手を伸ばし、下げられた相手の頭を撫でる。この若様は良い奴だ、と彼は思う。会った事もない人間の為に悲しみ、赤の他人の痛みを感じ取って泣く。そんな者は、そうそういない。ましてや貴族階級の中には。
「泣くな、お前さんのせいじゃない。あんたはユドルフとは違う。そんな真似は絶対にやりはしないだろう?」
「でもザドゥ!!」
 生きられたのに、とルドレフは叫ぶ。御両親は、妹さんは、殺された村の人々は、本来もっと生きられたはずだったのに!
「……そうだな」
 苦い眼をして、ザドゥは吐息を漏らす。
「あんな殺され方をしなければならない、罪など一つもなかったな」
 ルドレフはうなだれたまま、嗚咽を堪え謝罪の言葉を繰り返す。どう応えたら良いかわからず、ザドゥはただ、その背中に腕を回した。


 ルドレフ・カディラが姿を消したのは翌朝の事である。朝食を終え、宿を出でいよいよ都に向かおうというその時、馬に乗る前にルドレフはあっと声を上げた。
「いけない、指輪を忘れてきた。後で追いつくから、先に出発していてくれ」
 指輪というのが大公から授かった例の品である事は、ラガキスもザドゥもすぐにわかった。そんな大切な物をどーして忘れるんだ、と呆れつつ声をかけ先に道を進んだものの、程なくおかしい、と気づいて二人は馬の歩みを止める。
 泊まった宿と厩舎は、そう離れてはいない。大して時間をかけずに追いついて来られるはずだった。だのに道程の三分の一を過ぎても、姿を見せないという事は……。
 ザドゥはラガキスと顔を見合わせる。あの岩山での一件以来、刺客は完全になりを潜めていた。襲撃が途絶えた事に自分達はつい気を緩めてしまったが、刺客は待っていたのではなかろうか? 彼等が油断して、ルドレフから目を離す時を。そして今、機会は与えられたと牙を剥いたのではないか?
「戻るとしましょう。ルドレフ様の事ですから大丈夫とは思いますが、万が一という場合もございます」
「そうだな」
 急ぎ戻った二人は、宿の主からルドレフが剣士くずれな風体の男達に絡まれ、強引に山の方へ連れていかれた事を聞かされた。その事実を知らせに使用人を走らせたというが、どうやら行き違いになったらしい。
「一応お客に対してこう言うのも何ですが、性質の良くない連中でしてね。酒代は踏み倒すわ、他のお客様に手を出すわ。ほら、昨夜もそちらのお連れ様にちょっかいをかけてましたでしょう? 何事もなければ良いのですがねぇ」
 取り囲んだ連中は、せいぜい六、七人程度だった、という話にラガキスもザドゥも首を傾げる。それぐらいの人数なら、相手がいかに猛者だろうとあのルドレフが手間取るとは思えない。それ故に、胸が騒いだ。
(何があった?)
 山の方に向かったというなら、行き先は展望台だろうと考えたザドゥは、そこに上る階段の途中で足を止め、緊迫した顔でラガキスを振り返る。
「爺さん、ここを通る時は布か何かで鼻をふさいだ方がいい。匂いがまだ僅かながら残っている。耐性がないなら、吸わないにこした事はない」
「何ですと?」
「痺れ薬の一種だ。微量なら問題ないが、大量に吸い込んだら立っていられなくなる。ここで使われたんだ、おそらく」
 ラガキスの表情が、硬く強ばった。
「そ、それではルドレフ様は……」
「とにかく上だ。ここに来た事はどうやら間違いない」
 言って、ザドゥは展望台へと駆け上がる。気を取り直したラガキスが、少し遅れて後に続いた。
「………」
 そして、彼等二人はその惨状を眼にしたのである。丸太で作られたベンチに、地面に転がっている男達の、朱に染まった死体を。


◆ ◆ ◆


「……あのさ」
 ベッドの上に座り込み足を組むという、いささか行儀の悪い格好でパピネスは、力の抜けた呟きを呆けた表情で繰り返す。
 彼の目の前には大量の衣装が所狭しと並べられ山積みとなり、その向こうには期待に満ちた眼差しの……。
「あのさ……、大公」
「うん? どうした? 遠慮なく選んで良いのだぞ。全部そなたの為に用意した衣装だからな」
「そんな無駄金使わなくても……」
「なに、心配はいらぬ。金はビタ一文使っていない」
 胸を張って、大公は言う。
「闘技用の衣装をハンターに提供してもらえぬか、と城内の者に申し出たところ、これだけの量が集まってな。皆、善意の寄付だそうだから、安心して着用するが良い。なにしろそのハンターのマントは、言っては何だがくすんだ色調だからな。ランクによって色合いが異なる以上はやむを得ないとしても、せめて衣服の方ぐらいは目立たせねばならん。遠慮は無用だ、さあ」
「だから……、遠慮してる訳じゃなくてだなーっ!」
 叫びと共に、パピネスはベッドの上で仁王立ちとなった。そうなると当然、椅子に腰かけた大公を彼は見おろす形になるのだが、当の大公は一向に気にする様子もない。背後に控えている青年も御同様、である。
「何を考えてんだ!? ああ、確かに式典後俺のハンターとしての力を見世物にするって件は承諾したさ。けどな、言っとくが妖獣ハンターはチンドン屋じゃないんだぞっ! 何なんだよ、この原色バリバリのド派手な色彩の衣装の山はっ! んなもん、俺に着ろって言うのか?! 冗談じゃないっ!!」
 一介のハンターが大公を見おろしこの暴言、で不敬罪に問われないのだからカザレントも大した国である。
 息を切らして喚くパピネスの文句を、ニコニコして聞いていたロドレフは、相手が口を閉じると同時にあっさり言った。
「見世物は、目立たなければ意味がない。と思うのだが、違うか?」
「……う……」
「会場となる闘技場は広いぞ。一番上の席に座った者の眼には、人が豆粒のようにしか見えぬと聞く。となると、やはりこれくらいの派手な色の服を着ない事には、獣と区別して見てもらえないのではないか?」
 ガックリ、とパピネスは脱力する。ロドレフが手にしたのは、完熟トマトを上回る真っ赤な袖がふくらんだ衣装であった。
「いい……。も、自分で選ぶから頼む、出てってくれ」
 背中を押して退出を請うパピネスに、大公はつまらなそうな表情で呟く。
「何だ。せっかくこうして運んできたのだから、何着か着替えて見せてくれても良いだろうに」
「……!!」
 瞬間、神経のブチ切れる音をパピネスは聞いた……かもしれない。
「寝言をほざいてんじゃねぇっ! ぶっとばされないうちに失せろっ!! このお気楽大公がっ!」
 ロドレフはひょっと肩を竦め、次いでまじまじとパピネスの顔を覗き込み、本気で怒っていると知ると苦笑を浮かべて立ち去った。複雑な面持ちで見送るパピネスに、侍従のクオレルが笑いをこらえ声をかける。どうかお気を静めて下さい、と。
「わっかんねー。何考えてんだか、あの大公」
 衣装の山を蹴飛ばし隅に寄せ、ベッドに寝転んでパピネスはぼやく。
「俺なんかを客分扱いしただけじゃなく、わざわざ部屋まで会いに訪ねてきたり。大公って、そんなに暇なもんなのか?」
 持ち主となるハンターに足蹴にされた、気の毒な衣装を元通りたたんで箱に収めると、クオレルは困ったような笑みを向けた。
「お気を紛らわせたいのですよ、大公は」
「?」
「来るはずの、会いたくてたまらない方がまだお見えになりませんので、不安なのでしょう。おそらくは」
 パピネスは肘をついて身を起こし、クオレルを伺う。大公のお気に入りと呼ばれ、常に影のように付き添っていた彼が、一人残って話をするのは珍しかった。
「大公、誰かを待っているのか?」
「ええ」
 侍従の青年は、まっすぐな銀の髪を揺らして頷く。
「亡き宰相の忘れ形見にして、御自身の唯一の息子にあたる御方を」
「息子ぉ!?」
 今度こそ姿勢を正し、パピネスは問いかける。
「息子って……あのユドルフとは別、だよな?」
 クオレルは不快げに眉を寄せた。
「ユドルフ・カディラは大公の御子などではございません」
「………」
 きっぱりとした口調で返された、常になく冷たい声。はっきり言うなー、といささかあきれた思いでパピネスは頭を掻く。嫌われ者だろうとは推測していたが、これではユドルフの名前自体、禁句に等しい。口にせぬ方が無難である。
「大公が来訪を心待ちにしておりますのは、ルドレフ・ルーグ・カディラ様。一度として対面した事のない、我が国の公子です」
「一度も会ってないってぇ?」
 パピネスは素っ頓狂な声を上げた。どういう親子だ、それは? と。
「私も……その頃はまだ生まれておりませんでしたから、聞いた話でしかないのですが、何でも宰相が亡くなった時に激昂した大公が、赤子を手にかけようとなされたとかで」
「げっ」
「ラガキスという宰相の部下の一人が、御子を連れて出奔し行方知れずになったとの話ですが……。まぁ、実際のところはわかりかねます。人の噂はいい加減なものですし、当時の大公の御心など測りようもありません」
 微苦笑して、クオレルは付け足す。
「私が見た限り、都を目指して出発したとの連絡を受けて以来、大公がルドレフ様の来訪を楽しみに待っておりましたのは事実です。疑うべくもなく確かだと、断言できます。父として、息子と対面する日を待ち望んでいらした。それだけに……」
 言葉を途切れさせ、青年は溜め息をつく。
「昨日到着した、イシェラからの招かれざる客人の言葉は、こたえたでしょうね」


 式典を間近に控えての、招かれざる客。イシェラ国王ヘイゲルとその従者が城門をくぐったのは、昨日の昼の事である。以前書簡を携えてきた使者の青年もひどい格好であったが彼等もまた、負けず劣らずの土埃にまみれた姿であった。
 何かの罠ではないか、偽者ではないかと騒ぐ側近をなだめ、城内に通し部屋と風呂と着替えを用意させ、食事を与えた大公に返された礼は、会った途端の剣の一振りだった。
 両手で刃を受け止め、事なきを得たロドレフを動揺させたのは、次のヘイゲルの叫びである。
「貴様も失うのだ! ユドルフ・カディラが儂のブラウを奪ったように、貴様にも味わせてくれよう、息子を失う痛みを!」
 ルドレフ・カディラはここには来ぬぞ、とヘイゲルは告げた。貴様の息子に向けて、イシェラは刺客を放ったと。何組も何組も。先の者達は失敗したようだから、薬を使うよう指示したと。いかに剣の腕が優れていようと、痺れ薬を嗅がされては戦えまい? そう、イシェラ国王は告げたのだ。
「待っても来ぬわ。貴様の息子は、永久にここへは辿り着けぬ。カザレントの跡継ぎは、旅の途中でならず者の手にかかり息絶えるのだ!」
 笑いを浮かべ、ヘイゲルは叫ぶ。
「それでもまだ、儂の息子よりは遥かにましぞ。卑怯にも後ろから斬りつけられ生命を落としたあげく、その亡骸まで妖獣の餌にされたブラウよりは!」
 ユドルフ・カディラは王宮に、王都に妖獣を呼び寄せた、とヘイゲルは訴える。集まった妖獣は衛兵を、貴族達をその牙や爪で引き裂き肉片を撒き散らし、遂には都を乗っ取ったと。
「儂のブラウは……イシェラは、ユドルフの……。貴様のせいで、もう返らぬわ……」
 力尽きたように突っ伏し、嗚咽を漏らす年老いたイシェラの王に、その場にいた者達は誰も、何も言えなかった。それ故、大公の口にした短い言葉が、印象に残ったのだ。
「義父上」
 そう、彼は言った。ヘイゲルに向けて。義父上、と。
 皆、ポカンとしてその言葉を聞いた。呼びかけられた当のヘイゲルさえ、驚愕に眼を見開き、信じ難い表情を浮かべている。
 対するロドレフは穏やかな、けれどもどこか哀しみの入り交じった笑みを見せていた。膝をついて、イシェラの王と視線を合わせると、彼は囁く。
「長の道中でお疲れの事と思います。イシェラとは比べるべくもないでしょうが、暫しの間我が居城に滞在して下さるようお願いしてもよろしいでしょうか」
 大公? と悲鳴に似た叫びが臣下の口から漏れる。それらを聞き流し、ロドレフは言葉を続けた。
「イシェラは、貴方の国です。このカザレントが私の国であると同じく、イシェラは貴方の国なのです。必ずや、妖獣の手から取り戻しましょうぞ」
 力強く言い切ると、ロドレフはその眼をふとなごませる。
「良ければ、滞在の間に我が妻と会ってはいただけませんか? セーニャとは、三十年以上会われていないのでしょう。今だから申しますが、彼女をこの城に迎えた時、私は思いましたよ。天女を伴侶に与えられた、と。同時に、こうも思いました。天女の伴侶がつまらぬ人間でいてはならない、と」
「…………」
「感謝致します、義父上」
 ヘイゲルは震えが止まらなくなった。いったい何を言われているのだろう、自分の耳は正常か?
「感謝致します、彼女を妻として下さった事を。貴方の娘は、何も持たなかった私に生きる目的を与えてくれました。強くなれ、と。彼女を守れるぐらいに強くならねば、と私は決意したのです。そして、そう簡単に死ぬ訳にもいかなくなりました。私が死んだら、あれは天に戻ってしまうでしょうから」
 すなわち生きてはいない、という事である。ありえる話であった。セーニャならば。
 明らかとなった真実に、ヘイゲルは笑いだした。そういう事だったのか、と。セーニャをカザレントに嫁がせた、その時点で計画は失敗していたのだ。セーニャであってはいけなかったのだ。カザレントに嫁ぐのは。
 類い稀なる美貌の少女。か弱くて、儚げで、支えがなければ折れてしまいそうな娘を妻として迎えた為に、ロドレフ・カディラは変貌を遂げたのだ。暗い眼をした運命に流されるだけの子供から、精悍な顔立ちの男に、支配する側の者へと。
「イシェラを、妖獣から取り戻せると言うのか? 儂の自慢の兵達ですら、なす術もなくやられたのだぞ」
「ですが、戦う前から諦めるのは私の性分に合いませんので」
 向けた笑顔は、負けるつもりなど欠片もない戦士のそれだった。ヘイゲルは形容しがたい感情の波に襲われ、絶句し口を閉じる。これが、セーニャの選んだ男なのだ。生命を捨てても守ろうとしたカザレントの君主。自ら身篭もった子を流し、殺させまいとした男。己の娘の夫、義理の息子。
「儂をここへ住まわせると? そなたを……そなたの息子を殺すよう命じたのだぞ。そんな男を義父と呼ぶのか……?」
 まともに顔を合わせる事も出来ぬまま、ヘイゲルはうなだれて呟いた。ロドレフは僅かに首を傾げ、目を細める。
「息子は、断じて殺されはしません。しぶとさは父である私が既にこうして証明済みですから」
 開いた手を、彼は差し伸べた。
「ルドレフは必ずここに来ます。その時貴方は、単に我が息子を鍛えただけと知る事になるでしょう」
「………」
 ヘイゲルは顔を上げ、震えを抑えて手を伸ばす。老いた皺だらけの手が、程よく肉のついた張りのある手の上に重なった。
「儂は……」
 声が震える。込み上げる感動の為に。
「儂には、まだ息子が一人おったのだな。カザレントに」
「ええ」
 応える声は、あくまで穏やかだった。
「貴方の息子が、ここにおります。義父上」


「……よくもまあ、あんな臭い芝居が出来たものです、大公も。内心は腸が煮え繰り返っていたくせに、ニッコリ笑って嘘八百。我が主ながら目眩がしましたよ、私は」
「……えっとぉ……」
 侍従の青年の歯に衣着せぬ物言いに、パピネスは唖然とするばかりだった。たった今聞かされたイシェラ国王相手の一幕が、臭い芝居という注釈さえ入らなければ、なかなか感動的な話であっただけに。
「演技だって言うのか? 全部」
「そうですよ。大公お得意の成り行き任せ、その場限りのね」  
 返ってきた声は、実に素っ気ない。パピネスはポリポリと頬を掻き、言うべき言葉を探す。
「けど、本当は息子が来るか来ないか心配でたまらない、とクオレルさんは知ってる訳なんだ」
「お仕えして十年になりますからね。……クオレルでいいですよ。お客人にさん付けで呼ばれては困ります」
 そう言って微笑んだクオレルの口元には、女のような色香があった。今更ながら相手の美貌に気づき、赤面したパピネスは慌てて視線をそらし気を静めにかかる。
(あっぶねー。男相手に感じるなんざ、かなりの欲求不満状態だぞ、俺も)
「予定通りでしたら、ルドレフ様は二日前にここへ到着するはずでした。刺客の一団が彼に向かって放たれたと知った以上、大公の不安は増すばかりでしょう。式典を明日に控えて、難儀な事です」
 自分の微笑みが客分のハンターの胸にどのような感情を起こさせたかなど、全く意識する事なくクオレルは語る。その事務的な淡々とした口調は、パピネスを冷静にさせ本来の仕事を思い出させるに充分であった。
「都を妖獣に占拠されたって件が気になるな……。イシェラの国王陛下だっけ、後で詳しい話を聞けないものだろうか」
「大公にその旨伝えておきましょう。もしもイシェラ奪回の為、妖獣相手に戦端を開くとなれば、我が国は専門家を必要とします。その際は契約を更新していただけますか?」
「………」
 脳裏に浮かんだのは、黒い長身のシルエット。待っている、と呟いた寂しげな……。
「俺は、ハンターだ」
 苦笑と共に、パピネスは答える。何かを振り払うように、赤い髪を揺らし。
「任務は遂行する。必ず、な」

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