何処までも続く青い空。絵の具で塗り込めたような白い雲。
 上空の太陽は燦然(さんぜん)と輝き、水面に降り注ぐ金の雫が波にさらわれて優雅に揺れる。
 子供達が波打ち際ではしゃぎ回り、周囲では人々の笑い声がこだまする中、仁王立ちで恨めしそうに海を見つめ、ため息をついた人物がいた。漆黒の髪とつり上がり気味の目が特徴的な、 長身痩躯(ちょうしんそうく)の青年だ。
「……何でいるんだよ……」
 晴れ渡った空に不釣合いなしかめ面を浮かべた彼は、うんざりした様子で遥か遠い水平線に悪態をついた。



FATED CREATURES 番外編
  Enjoy summer! 〜束の間の休息〜
作:ジロウ様




ここは日本にある某所の海岸。
 山と海が接する風光明媚(ふうこうめいび)な観光地として人気があり、別荘地、保養地としても有名なこの街には、毎年夏になると全国から人々がわんさと押し寄せる。海に面したホテルは数ヶ月前から予約で埋まり、海水浴シーズンは宿という宿が全て満室。街には土地の者でない人間があふれ、ジュースやアイスクリームを売り歩く商人が沿道で声を張り上げ、この季節にしかお目にかかれない海の家からは季節感のかけらも無いラーメンの匂いが漂う。
 砂が暑いと言いながら、海を目指して浜辺を楽しげに走る子供達。腕を絡めて寄り添い、幸せそうに歩くカップル。その人込みと喧騒の中に、何故か妖精大陸にいるはずの椎名隼人の姿があった。
 隼人は砂浜のうちでも沿道に近い辺り、道路から海岸へと下りる事の出来る階段の前に立っていた。明らかに不機嫌な表情で、長めの前髪をめんどくさそうにかき上げながら、周囲をゆっくりと見渡す。右を向いても左を向いても、人、人、人の山。ありえないはずの光景には、ため息がもれるのも仕方のない事だった。
 戦いの師匠であるシムルグの家を出て以来、隼人が『人間大陸』に戻った事は一度もなかった。その必要が無かったし、なるべく足を踏み入れたくない土地だったからだ。勿論、今人間大陸はどうなっているだろうと、始終気になってはいた。情報を得る手段も無いため詳しい状況は把握できていなかったが、特異な能力を持たず、魔物の襲来に対して為す術の無い普通の人間達は、各々の家に閉じこもり、不安定な日々に怯えながら暮らしているのだと思っていた。だから例え夏の海だったとしても、冬のそれのように静かでもの寂しげな情景を想像していたのだが。
「まさか、こんなに海水浴客がいるなんてな」
 信じられないと言うようにかぶりを振った隼人は、先ほど通りすがりに土産物屋の店先で耳にした、『客足が例年の三分の一以下で商売上がったりだ』という台詞を思い出し、また深いため息をついた。ラッシュアワーとまではいかないにしても、平日の昼に駅を行きかう人の群れ位は優にいるのに、本来ならこの三倍の人手だなんてと、想像しただけで頭が重くなった。それに何より、命の危険も顧みず、この状況下で海へ行こうというその発想が分からない。『行楽根性』とでも言うのだろうか。
 まったくもって恐れ入る。
「待った? 隼人」
 突然後ろから元気の良い少女の声がして、隼人は沿道へと続く短い階段の方をおもむろに振り返った。
「随分遅かったな」
「えへへ。ごめんなさい」
「選ぶのに手間取っちゃって」
 何かが入った紙袋を持ち、軽く舌を出しながら現れたのは、双子の妖精パロロとコロロ。顔のパーツは全く一緒だが、パロロの髪は短く雰囲気も少年的、コロロはというと肩までのセミロングで少女らしい印象だ。そもそもこの2人が突然海へ行きたいと言い出し、しかもどうせなら人間界の海がいいと駄々をこねたのが事の発端だった。
 一度言い出したら聞かないパロロとコロロのわがままに折れて、仕方なく隼人が空間転移の魔法を使い、避暑地として有名なこの海岸にやってきた。予想外の人込みにうんざりの隼人としては、あまり長居をしたくは無かったのだが、人間に興味津々で遊び盛りの少女達が大人しく引き下がるはずもなかった。お得意の自然力で人間の少女へと姿を変えた2人は、水着を買ってくるからと隼人の財布を握り街へ出かけ、着た時に驚かせたいからついて来るなと言われた隼人は、独り浜辺でぼんやり海と人込みを眺めていたという訳だ。
「それで、気に入ったのは見つかったのか」
「うーん、イマイチね」
 パロロは隼人に財布を返してよこしながら、軽く首をかしげた。それを受け取って、何だそうかと相槌を打った隼人に、今度はコロロが肩をすくめてみせた。
「人気があるのは、もうみんな売れちゃったみたい。ちょっと残念」
 不服そうな顔をする2人に、この際泳げりゃ何でも良いんじゃないかと隼人は思ったが、それを口に出す事はせず、軽く息を吐くだけにとどめた。
「まあこの人出じゃ仕方ないさ。でも買ったは買ったんだろ? 着替えて来いよ」
「うん。そうする」
 パロロとコロロは同時に頷いて、荷物を手に更衣室の方へと向かう――かと思いきや、 2つあった紙袋のうちの1つを隼人に手渡した。
「じゃあ隼人も着替えてきてね」
「……は?」
「だから、これ隼人の分」
「お、俺の?」
 いまいち平静を取り戻せぬまま紙袋を覗くと、中には確かに青い男物の水着が入っていた。その途端、隼人がひきつった笑みを浮かべたまま固まる。彼自身は付き添いとして来ただけだと思っていたので、海に入る事など全く頭に無かったのだが、どうやら彼女達は最初から一緒に海で遊ぶつもりだったらしい。
 あまりにも予想外で言葉を失った隼人の顔を、パロロとコロロが下から覗き込んだ。
「青って、隼人に似合うと思うのよね」
「黒でも良かったんだけど、夏だからちょっと明るめに、と思って」
 全く悪びれず楽しそうに微笑む2人とは対照的に、隼人の石化は未だ解けなかった。ずっと袋の中を睨んだまま、うんともすんとも言おうとしない。見かねたパロロとコロロが、「おーい」「もしもーし」などと言いながら彼の顔の前で手を振ると、ようやく正気を取り戻したというように顔を上げ、焦点の定まらない目でぼそりと呟いた。
「……俺も……入るのか……」
「勿論!」
 答えの分かりきった問いには、やはり予想通りの答えしか返ってこない。元気良く声を合わせたパロロとコロロの瞳は期待に満ちていて、こうなった時の2人は例え天地がひっくり返っても意見を覆さない、という事を身をもって知っていた隼人は、分かった……と力なく返事をして更衣室に向かうほか無かった。

v   v   v


 隼人は砂浜に腰掛けて、膝の上で組んだ腕に頭を乗せ寝たふりをしていた。半ば閉じた自分の足の隙間から見える砂の上に、横ばいに歩いていく小さなカニを見つけ、それをゆっくりと目で追った。海に来ると決まって磯遊びをし、子供用のバケツ一杯にカニやヤドカリを取った幼き日々を思い出して、ふいに微笑がこぼれた。ずっとこうして寄せては返す波音を聞きながらぼんやりしていられるなら、たまには海も悪くないかもしれないと思う。
 着替えを手早く済ませた後、始めは落ち合うと決めた場所で普通に立って待っていたのだが、いつまで経ってもパロロとコロロの姿が見えないので、とりあえず場所を動かなければいいだろうと砂浜に腰を下ろしたまでは良かった。しかしよっぽど暇そうに見えたのか、あるいは単なる冷やかしなのかは定かでないが、暫くすると、じろじろと物珍しげに眺めながら目の前を通り過ぎる子供やら、集団で声をかけてくる女性グループやらが現れた。ただでさえ疲れていた隼人には、それらを軽くあしらう余裕など残されておらず、愛想笑いを浮かべて女性グループの誘いを丁重に断ってから、すぐに狸寝入りを決め込んだ。その策が功を奏し、以来彼に声をかける者は無いまま現在に至る。
 目の前の小さなカニは、時折吹く風に飛ばされそうになりながらも、どこかを目指して必死に歩いていた。細かな貝の破片すら、彼にとっては大きな障害物になるようで、真っ直ぐ行こうとしてもよろめいてしまい、その結果ジグザグの道筋をたどった。すぐ傍を子供達が駆け抜けていくと、驚いたように一瞬体の動きを止め、あたふたと方向転換をしてあちらへこちらへと逃げ回る。さっきからずっとその繰り返しで、なかなか足元から去ろうとしないカニを、隼人は半ば呆れながら眺めていた。こんなに容量の悪いヤツが、果たしてこの先上手くやっていけるのだろうかと、少し気がかりになってしまう。
 子供達が去ってから暫くして、カニはようやく平静を取り戻したようだった。再び進む方向を一点に定め、砂丘の上を歩いていこうとする――が、先ほどまで行こうとしていた方向とはまるで違っていた。さっきから見ている限りでは、逃げ回るたびに行き先を変えるようだ。もしかしたら、カニにも方向音痴がいるのかもしれない。
 今度の行き先は、隼人の右足が置いてある方向だった。すぐ側に大きな障害物がある事に気づく様子もなく、無心に歩くカニを不憫に思い、仕方ない避けてやるかと隼人が顔を腕から離し体を起こすと、ふいに視界が何かに遮られた。
「だーれだ」
 後ろから、聞き覚えのある声。
「……パロロか?」
「当ったりー!」
 隼人の目隠しをしていたパロロは、嬉しそうに前へと回り込んだ。その後へ付いて、コロロも微笑みながら座っている隼人の前に立った。
 一卵性の双子だけあって、パロロとコロロの声はよく似ている。住んでいる村でも普段から間違われる事がしょっちゅうのそれを当ててもらった事は、彼女達にとって大きな喜びであるらしかった。
「凄ーい! 何で分かったの、隼人」
「……まあ……分かるだろ普通」
「そんな事ないよ。あたし達の声、よく間違えられるもの。やっぱり愛の力って偉大ねー!」
 手を顔の前で組んで陶酔するパロロだが、隼人が声をあてられた理由は彼女が言うような乙女チックな力のせいでは無い。後ろから目隠し、などという茶目っ気たっぷりの悪戯をするのはいつもパロロだから、恐らく今回もそうだろうと踏んで口に出しただけだ。しかしあえて彼女の機嫌をそこねる事も無いと、隼人は否定せず笑ってごまかした。
 それをパロロがどう受け取ったかは分からないが、普段から夢見がちな彼女の事、恐らく脳内で自分にとって都合の良い妄想を展開しているに違いない。実際彼女の目は青い空の1点を見つめていて、当分こちらの世界へ戻って来そうになかった。
 隼人は相変わらずだなと苦笑しながら、落ち着けていた腰を上げて大きく伸びをした。長い事縮めていた身体が解放されたせいか、とても気持ちが良く、同時に欠伸(あくび)まで出てしまった。それを半ば無理やりに噛み殺しながら目をこすり、ついでに肩も大きく回した。するとコロロが一人で夢の世界に旅立った姉を押しのけ、前に出た。
「ね、隼人」
「ん?」
「これ、どうかな。似合ってる?」
 小首をかしげながら腕を後ろに組んで隼人を見上げているコロロは、細かな花柄が散りばめられたオレンジ色のワンピース水着を着ていた。肩紐と胸の辺りには白の細かなフリルが付いていて、かなり女の子らしい印象だ。それに対してパロロの水着は、黄色のボーダーが入ったビキニスタイルだった。ほとんど装飾の無いシンプルなデザインはどちらかというとボーイッシュで、 2人の性格の違いがよく表れていた。
「そうだな。2人ともよく似合ってるよ」
「やった。嬉し――」
「ホントに!」
 遠い世界にいっていたはずのパロロの耳にも、隼人の言葉は届いたらしい。突然姉が会話に入ってきた事に驚き言葉を失ったコロロを押しのけて、今度はパロロが隼人の前に陣取った。
「ね。あたし可愛い? 惚れなおしちゃう?」
「ちょっとパロロ、今はわたしが隼人と喋ってたのよ」
「いいじゃない、別に。隼人はコロロだけのものじゃないでしょ」
 隼人はどうも自分が品物扱いされているらしいのが気になったが、ともかく仲裁に入らないわけにはいかないと思い直した。この手の小競り合いなどしょっちゅうあるとはいえ、放っておくと更に悪化してしまうのだ。しかし下手に横槍を入れれば、火の粉がこちらにも降りかかってくる。
 徐々に熱気を帯び始めた2人を前にして隼人は頭を悩ませ、とりあえず物でつってみる事に決めた。
「なあ。のど渇かないか? 飲み物買ってやるよ。何がいい?」
 パロロとコロロは一瞬お互いから目を離して隼人を見た。
 が、すぐに視線を元へ戻し、再び2人の間に火花が散った。
「今それどころじゃないのよ」
「悪いけど、邪魔しないで」
 残念ながら、作戦失敗。思ったより状況は悪化しているようだ。
 これでは手の打ちようが無いかに思えるが、彼女達の扱いに大分慣れてきた隼人には奥の手ともいえる策があった。とはいえ、難しいことではない。要は幼い子供に言う事を聞かせるのと全く同じだ。
 ――『押しても駄目なら引いてみろ』。
「そうか? じゃあ俺は買いに行くから、2人はここで待っててくれ」
「え」
 今の今までいがみ合っていたパロロとコロロは、その怒りさえも忘れたように、何とも気の抜けた声を上げた。そもそも隼人を取り合って口論していたのだ。肝心の彼がいなくなっては意味が無い。話を途中で取られた位で腹を立てる2人だから、例え飲み物を買いに行くだけの短い間だったとしても、今隼人と離れるのは我慢ならなかった。
 それに、もしこの浜辺を往復する間に、他の誰かにでも取られたら大変だ。周囲からさり気なく送られる女達の視線は、その恐れが現実のものになる可能性を充分に秘めている。
「わ……わたしも一緒に行く!」
 突然コロロが隼人の方へ向き直り、慌てた様子でまくし立てた。隼人は満足げに頷いて、すっと手を差し出した。
「よし、なら行こう」
 普段なら自分から誘ったりはしない隼人にしては珍しい光景を目の当たりにして、途端にコロロの顔が明るく輝き、彼女は差し出された腕に飛びついた。隼人は嬉しそうに目を閉じて寄り添うコロロに微笑んでみせると、今度はパロロの方へ視線を移した。パロロは誘いにのるタイミングを外してしまった為か、まだ機嫌が治まらないのか、文句のありそうな顔で隼人を上目遣いに見つめていた。
「パロロはどうするんだ? 行かないのか」
 隼人がコロロにしたのと同じように手を差し出すと、パロロは余計に不服そうな顔になった。本当ならすぐにでもその腕を取りたいところなのだが、このまま大人しく言う事を聞くのも何となく悔しいといったところだろうか。既にコロロに先手を取られているせいで、パロロは言い知れぬ敗北感を感じて素直になれずにいた。ここは一つ、コロロも羨むような逆転ホームランを放たなければならない。
 難しい顔のままで暫く考えていたパロロは、ふと何かを思いついた表情をみせてからニヤリと笑った。悪戯めいた目で隼人を見つめ、両腕を組んで小首をかしげた。
「そうね。別に行っても良いけど――」
 語尾を延ばし、じらすような素振りをする。人差し指を頬にあて軽く空を見上げてから、もう一度隼人に視線を戻した。
「一つお願いを聞いてくれる?」
「……何だ? 言ってみろよ」
 隼人がそういい終わらぬうち、パロロはしめたとばかりに顔を上向かせ、目をつぶった。どんなに色恋沙汰にうといものでも分かるほど、あからさまにキスをねだる仕草。

 これには流石の隼人も形無しだ。「う」と小さく呻いて表情を固くし、軽い気持ちで尋ねてしまった事を心から悔いた。魔物相手なら隙の無い身のこなしを見せる隼人だが、こういった(たぐい)の突発的な事態にはめっぽう弱いらしい。
 冷や汗をかき言葉を失った隼人に対し、パロロは相変わらず軽く唇を突き出し目を閉じた状態で待っていた。神に祈るように顔の前で両手を組み、身じろぎ一つしなかった。こういう時のパロロは、驚くほどに辛抱強い。
 隼人はコロロに腕をとられたまま、どうしようかと必死で考えをめぐらせていた。しかし混乱して上手く働かない頭では、良い考えなど思いつくはずも無かった。
「な……何のつもりだよ」
 とりあえず(とぼ)けたふりをしてみたものの、パロロの姿勢は全く変わらない。一瞬目をうっすらと開けたが、分かってるでしょ? とばかりに微笑んだだけでまた元通りまぶたを閉じた。 ――万事休す。隼人は期待に満ちた顔のパロロを前にして、再び頭を抱えた。
 とその時、やっと様子がおかしい事に気付いたコロロが眠りから覚めるようにして目を開き、それとほぼ同時に悲鳴を上げた。
「きゃー! 何やってるのパロロッ!」
 パロロは一瞬しまった見つかったという顔をしたが、ふう、と声に出して息をつくとパロロの方に向き直り、手を腰に当てて開き直った。
「なによ。文句でもあるの?」
「当たり前でしょ! 何考えてるのよ! 抜け駆けもいいところだわ!」
「先に隼人にくっついたのはそっちじゃない。コロロにとやかく言われる筋合いはないわよ」
「だからって、して良い事と悪い事があるでしょ」
「別にあたしは『悪い事』なんてしてないわ」
「そういうの、屁理屈って言うのよ!」
 青く澄んだ空の下、何もしないうちから疲れきった隼人は、眼下の競り合いから遠く離れるように延々と広がる水平線へ視線を向けた。
 蒼い海。白い雲。天を翔る海鳥の声。
 照りつける日差しに涼しげな目元を細め、「もう夏だな……」と小さく呟いた。




《管理人コメント》
ジロウさんのサイトで暑中見舞いフリーになっていたイラストと、お題小説を頂いて参りました。
ふふふ。連載中のファンタジー長編のキャラを使った番外編ということで、個人的には二度美味しい作品です。隼人って、基本的に女の子に弱い(優しい)ので、この押せ押せで迫れば案外簡単に落ちるかも?……などと思ってみたり(笑)。でもパロコロはお互いに牽制しあっているので、却って進展ないかもです(爆)。


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